奈良公園の一隅にあるクラシックホテル
設計は、様式建築の辰野金吾
辰野金吾にしては異色の和風と言われるが
和風とも思えない、木造で作った洋風建築
玄関ロビー
ロビー吹き抜け
2階から
総檜2階建て、1909年(明42年)竣工
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳
石舞台古墳に着くなり霰が降ってきた。
埋葬者は蘇我馬子というのが有力視されているが、
蘇我稲目の墓という説もあるらしい
長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m
元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、
その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。
蘇我馬子が埋葬者としたらその孫にあたる蘇我入鹿が
中大兄皇子(後の天智天皇)らに暗殺され
蘇我氏本宗家が滅びた「乙巳の変」(645年)の後
封土が剥がされ墓が暴かれたのは、
蘇我氏に対する懲罰ではなかったかとする説もあるが
ボランティアガイドさんから聞いたところによると
近くの農民が畑の土にした、
石棺の石は江戸時代に城の石垣に使われたと言っていた。
血脈が途切れる、墓守がいなくなるということは寂しいことだ。
本堂へと続く長い登廊(階段)
蹴上(段差)は低く、平地を歩く感覚に近い
この登廊からの風景が変化して楽しい
登廊から陀羅尼堂を見る
宗宝蔵あたり
この登廊は、平安時代・長暦3年(1039年)
春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の
御礼に作ったものと造ったと記されている
108間、399段
上中下の三廊に分かれている
下・中廊は、明治27年(1894年)再建