JR両国駅近くにある「すみだ北斎美術館」に行ってきた
緑町公園から
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
今日は、自由学園明日館公開講座「日本近代住宅史」の1回目の講義でした。
講師は、神奈川大学の内田青蔵教授。
題目は「同潤会の住宅 1 -アパートメント・ハウス事業を中心に-」
同潤会については断片的な知識しかなかったので、設立の事業目的や内容を系統的に知りえることができ、とても有意義でした。
とりわけ同潤会以前の東京市の公的集合住宅の存在や、普通住宅事業としての戸建て住宅分譲は、新たに知りえた知見でした。
建築法制という側面だけで近代日本の歴史を追いかけていると視界が狭くなるので、全体像を把握するために時々内田青蔵先生のような建築史家の講義を聴くと新鮮な知見を得ることができます。
講義は満員御礼。
一時間半の講義予定が、ほぼ二時間になり、それでも話が足りない熱のこもった講義でした。
今回は、特別に夕方4時から講義だったので帰る頃には真っ暗でした。
夜の明日館は、室内外とも見たことが無かったので、かえって遅くの講義時間で良かったです。とりわけ夜間の室内の照明は、雰囲気がありとてもよかったです。
今度、ナイトツアーが月に一回程度あるようなので来てみたいと思います。
第二回目の講義は、現存している同潤会の戸建て分譲住宅の見学会で、今から楽しみにしています。
写真は、受付
メトロ東西線・神楽坂駅(矢来町側)を出た、交差点に「la kagu」はある。昨年の秋にオープンした商業施設
建物は、昭和40年代に建てられた新潮社の倉庫で波型スレートの外壁はそのまま。ずっと前から神楽坂のにぎわいにはそぐわない一画だったけど、隈さんが言う波型スレートの外観が神楽坂の街に根付いた景観要素だとは思えない。
隈研吾さんは神楽坂に住んでいるから、そう思ってしまうのだろうか。
古いということと、汚いというのは異なる。
人も建物も、老いたるものの身だしなみには 気を使いたいものだ。
駐車場側からの写真だが、1階店舗への入り口もある
エレベーターホール
波型スレートの内側は、木毛セメント版が下張りされていた。
2階店舗・品揃えは少ない、良さそうなものはおいてあるが値段は高い。
この建物を特徴づけているウッドデッキと2階にあがる大階段
キュレーターショップというのだが、商業的に成り立っているのかなぁ~
3月23日に落成式を終え、5月7日より利用開始される豊島区新庁舎(1階~10階)、建物全体では「としまエコミューゼタウン」と名付けられたらしい。
「エコヴェール」と名付けられた低層部のファサードを覆う装置
よくみると透明なガラス、太陽電池モジュール、植樹壁(手摺)、木製のような格子と色々と組み合わされている。
今のところなんだか仮設部材が取り付けてあるような、チープな感じも受けるけど、「樹木のような建物」と隈研吾さんが説明していたようになるのかどうか、しばらく見守りたい。
有楽町線東池袋駅(池袋側)から地下道が直結される。この近くに副都心線の新駅(雑司ヶ谷と池袋の間)ができるという噂もある。
商売柄もっとも関係深い都市整備部は、6階南側テラスに面して執務スペースが配置されるようだ。
新庁舎は近所なので、そのうち散歩がてら行き 内部写真も紹介する予定。
タワー部分の東京建物の分譲マンションは、すでに完売。坪330万円(正確ではない)と聞くから、一般庶民には高嶺の花のマンション。
東大(本郷)にある伊藤国際学術研究センター
香山壽夫氏(東大名誉教授)の設計
「桜広場」を中心に展開する
街に向かって開かれた知的な出会いの場
この広場の下には約500人収容の講堂が配され、広場へ突き出した2つのトップライトは講堂に自然光を取り込むとともに広場を照らす光の筒となる
地下2階の伊藤謝恩ホール
http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/index.html
大正15年に建てられた学生寮を美しく個性的な歴史的建物として後世まで残していくため、コーポラティブ方式により住宅として再生(リノベーション)をはかった2004年竣工のプロジェト。
元設計は、求道会館と同じ武田伍一
求道会館2階から撮影
求道会館左手の路地の奥にある
ここから奥には無断では入れません
別世界へのアプローチという感じ
共同住宅で人が住んでいるので建物の中は見れなかったが、目の保養になった。
土地の権利は現在の土地所有者である宗教法人(単立法人で求道会)が持ち、 参加者は定期借地権にて共同(「準共有」)で62年間借り受ける。その土地にある「歴史的な建物」を通常 のマンションと同様区分所有し、参加者で結成する建設組合にてリノベーション(修復)した。「借りた土地」の上に「今ある建物」を ディベロッパーが介在することなく「参加者で再利用する」から、余計な経費がかからず、魅力的な価格が実現された。
定期借地権設定+コーポラティプ方式という建築再生プロジェクト
http://www.abrain.jp/hongoh6/index.html
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2階
天井 左官鏝絵模様
コードだけで吊るされた照明器具
天井裏との空気流通を図る開口
5個という数字には、
宗教的な意味が込められているとのこと
暖炉のデザインは、武田伍一が
英国で見たマッキントッシュの「キモノ型」デザインに
刺激されたものと近角氏が説明してくれた。
【建物データー】
設計 : 武田五一
延床面積施工 : 149.141坪(492.93m)
階数 : 地上2階
構造 : 煉瓦造 一部鉄筋コンクリート
原設計設計期間 : 1903年頃~1915年
原設計施工期間 : 1915年5月~1915年11月
施工 : 初代戸田利兵衛(戸田組)
復原工事設計監理 文化財工学研究所
復原工事設計期間 : 1996年9月~2002年3月
復原工事施工 : 戸田建設
屋根は二重野地(木造+センチュリーボード)ガムロンシート防水 石綿スレート菱葺一部銅板葺
外壁はモルタル塗一部煉瓦
正面ファサード・玄関ポーチはタイル貼(備前伊部) 一部洗い出しモルタル
笠石は特殊コンクリート(フェロコンクリート)
2階から
屋根2×6トラス
祭壇
「近角常観(ちかずみじょうかん)は明治3年滋賀県に生まれた浄土真宗大谷派の僧侶で、親鸞聖人の信仰を伝える歎異抄を原点に据え、悩み煩悶する人間が絶対他力によって救済されることを自らの入信体験を基に繰返し説き、 仏教界のみならず幅広く同時代の知識人に大きな影響を与えた。
近角は若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と起居を共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場として求道学舎を本郷のこの地に開き、明治35年から昭和16年に没するまでその経営に心血を注いだ。
また、広く公衆に向けて信仰を説く場として、大正 4年にこの求道会館を建立。
その壇上から有縁のものへ語りかけると共に、広く社会に対して仏教の有るべき姿を訴えた。その主張は政教分離の立場から国家による宗教管理とともに教団の政治参画にも強く反対し、宗教界の自立性の喪失に警鐘を鳴らし近代仏教の確立に大きく貢献した。」(求道会館サイトより)