北九州市総合保健福祉センターには保健所、医師会、リハビリセンター、夜間休日急患センターなど様々な機能が混在している。 それら相互のコミュニケーションを円滑にする小さな吹抜け空間を「チーズホール」と称して散りばめている。
所在地:福岡県北九州市
規 模:敷地面積 4,107m2/建築面積 2,762m2/延べ面積17,704m2
構 造:SRC造 地上8階/地下1階
設 計 : 岡田新一設計事務所
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
シルバーウィークの前、三日間の北九州出張から夜中に帰ってきて、翌日朝からの埼玉県川口市の古民家調査に参加した。
疲れていたが関東では古民家調査の機会が少ないので少し無理して調査に参加した。
(一社)住宅医協会の主催で、参加者14名の調査。
築約175年というから江戸時代後期・天保年代の建物と思われる。
上の写真は土間部分の豪壮な梁組。
調査の担当は、矩形図の作成だったのだが、GLラインから天井までは自分で実測できるのだが、床下チームから基礎伏図、小屋裏チームから小屋伏図や高さ関係の野帳を見せてもらっての作図となる。
しかし この建物の小屋裏は中々複雑で、小屋梁と小屋束では芯ずれがあり調査・伏図の作成が難航していた。すべての作業が同時並行では矩形図の作成も中々まとまらず、夕方までにフリーハンドの矩形図が出来たのは梁間方向一断面だけだった。
日本の建築法制史を振り返る中で、近世民家のフィールドワークに参加して見聞きするのは欠かせない。というか文献読んでいるだけではわからないことが多い。
江戸時代には「三間梁規制」といって上屋の梁間は三間(約19.5尺)に制限されていた。寛永20年(1643年)「武家住宅法令」が定められ、明暦3年(1657年)に大名屋敷だけでなく町民屋敷へと規制は拡大されている。
しかし古民家を調べていくと実に色々な架構形式があり、三間梁規制を守りながらもあの手この手の工夫で架構方法を変えてながら大きな梁間の家を実現しようとしているのが見られて面白い。
約一か月後ぐらいには調査結果をまとめた検討会が開催されるらしいから、成果小屋伏図、架構図を見せてもらうのが楽しみだ。
国土防衛の完璧を期する目的から昭和13年3月市街地建築物法が改正され主務大臣は、建築物の構造設備または敷地に関し防空上必要なる規定を設け得ることになつたので省令をもつて防空建築規則を制定することに決定、準備を進め昭和14年4月1日より同規則が施行された。
【防空建築規則を紹介する冊子「空襲!吾等の都市の防備はよいか : 都市防空と建築の座談会」の表紙】
条文は二十条よりなり主なる事項は下記
一、木造建物の外周を隣地境界線および道路中心線よりの距離に応じ相当程度の防火構造としもつて火災の際その延燃を防止すること(第四条関係)
二、鉄筋コンクリート造りの建物および木造の建物にして規模の大きいものには防護室、準防護室その他防護の施設をなさしめまたは防空壕用の空地を保有せしめること(第九条、第十条、第十一条関係)
三、航空機の目標となり易い建築物については偽装のためその形態もしくは角彩の変更を命じまたは偽装のための準備壊尽をなさしめ得ること(第十八条関係)
四、石油タンクで容量の大きなものはこれを地下に設けしめまたは防護の施設をなさしめること(第十九条関係)
この規則は、新たに建築される建築物に適用されるもので、その適用区域は内務大臣がこれを指定することとなつているが、大体防空上必要なる都市が指定された
【「空襲!吾等の都市の防備はよいか : 都市防空と建築の座談会」の目次・この本は国立国会図書館・近代デジタルアーカイブで読むことができる】
精神論と稚拙な技術が紹介されている。
【飛騨高山の橋で】
このブログに今後書くかも知れないテーマ「事件の現場」の構想を大学講師をしている知人と話していたら、「あんたの話しは週刊誌的な内容で、大学で話をさせるのにはあまり適切でない」と言う。
「何で?」
「大学は学生に夢と希望を与えるところだから」「あんたの話しはあまりにセンセーショナルで毒が強くて、学生を落胆させる」と言う。そんなものかなと思っていた。
しかし、学生は意外と建築界の裏話に詳しい。「あの建築家は、離婚歴■回だ」「あの人は、愛人と別れる時マンションを買ってやった」「あの人は歳は取っているが合コン接待が大好き」とか・・・私の学生時代も、そんな噂話で盛り上がったものだ。
今も昔も、純粋無垢で夢と希望だけ持って社会にでる学生なんて あまりいないのではないだろうかとは思うのだが。
今後 書いてみようかなと思っているのは「事件の現場」のような、建築紛争、建築審査請求や訴訟になった建物の過去と現在を掘り下げる記事だ。
プライバシーに関わることは書かないが、たぶん建築系の一般メディアでは記事にされないものだ。
それらは、裁判等で黒白決着がついたり、時間が経過したものだとしても、考えなければならないテーマが秘められている。
今、数件候補にしているので順次紹介できればと思っている。
【市街地建築物法】
1919年・大正8年公布(日本初の建築に関する全国的法律)
1934年・昭和9年改正(建築線と敷地,適用区域の指定に関する改正)
1938年・昭和13年改正(住居専用地区・工業専用地区・高さ制限・道路幅に関する改正)
1943年・昭和18年 市街地建築物法及同法施行令戰時特例
1947年・昭和22年 市街地建築物法の適用に関する法律
1947年・昭和22年改正(民法の改正に伴う「戸主、家族」の削除)
1950年・昭和25年11月23日廃止(同日建築基準法施行)
【市街地建築物法施行令】
1920年・大正9年公布
1923年・大正12年改正
1924年・大正13年6月改正
1924年・大正13年12月改正
1929年・昭和4年改正
1931年・昭和6年改正
1933年・昭和8年改正
1934年・昭和9年改正
1939年・昭和14年改正
1950年・昭和25年11月23日廃止(同日建築基準法施行令施行)
【市街地建築物法施行規則】
1920年・大正9年制定時
1922年・大正11年改正
1923年・大正12年改正
1924年・大正13年6月改正
1924年・大正13年12月改正
1925年・大正14年改正
1926年・大正15年改正
1937年・昭和7年改正
1934年・昭和9年改正
1937年・昭和12年改正
1939年・昭和14年改正
現場でコンクリートの中性化試験をしなければならないので、1%フェノールフタレイン液とスプレー容器を買ってきた。
たまにしか使わないので100ml
通常コア採取した場合は、第三者の試験機関で圧縮試験とセットで依頼するのだが、今回は鉄筋の腐食状況と中性化だけ調べる必要があったので、自分で中性化試験をすることにした。
RC壁を斫って鉄筋を露出させ、かぶり厚さ等を計測した後に、コンクリート粉末等を完全に除去し、スプレーで1%フェノールフタレイン液を噴霧する。
PH8.2~PH10.0のアルカリ側で紅色に変色する。
表面から紅色に変色した部分までの距離を測定し、写真撮影。
今度の調査では、自分で中性化試験をしなけりゃならないところがあると知人に話したら「大田区の町工場の親父みたいだ」と言われた。
まことに光榮なことだ。
日本における建築に関する最初の総合的・体系的法制度は、大正8年4月4日に公布された「市街地建築物法」(物法)である。それ以前にも明治19年の滋賀県の「家屋建築規則」等の地方令があり、明治42年に大阪府は「建築取締規則」を制定している。また首都東京では建築に対する布告・布達や特定用途の建築物に対する取締規則は数多く見られる。東京市では総合的な建築条令の草案を2度にわたり準備したが制定に至らなかった。それら市街地建築物法制定以前の建築法制史については、別の機会に紹介することにする。
実は、昭和25年の建築基準法制定時には、実体規定の多くの部分が「市街地建築物法」から継承されている。
この「市街地建築物法」に目を向けると、法の理念から逸脱した文理主義に陥ることなく現代の建築基準法をより深く解釈することができると思っている。
さて、この本は大正15年に内務大臣官房都市計画課から発行された「市街地建築物法の話」である。国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができる。
明治後期から大正にかけての東京・大阪を始めとした六大都市の都市の膨張、人口の集積により混乱する市街建築物が背景にあったことが良くわかる。
佐野利器は「改訂・解説市街地建築物法」(第14版・蔵前工務所編纂・国立国会図書館近代デジタルライブラリー)の序で、「都市計画法及び市街地建築物法は都市生活を悲惨より救済して之を幸福ならしめんが為の指針として出来たものである」と書く。
この本で説明が加えられているのは、地域、建築線、高さ及び空地、構造設備、防火地区、特殊建築物、美観地区、工事執行、既成市街地は如何に、所謂緩和規定とは何か、である。
斜線制限は出てくるは、防火地区(甲乙二種)は出てくるはで、現在の建築基準法の骨格は市街地建築物法に現れている。
2013年に解体された最後の同潤会アパートの解体前の耐久性調査の報告書「同潤会上野下アパート材料調査報告」(2015年3月、日本建築学会・材料施工本委員会)を読んだ。
この同潤会上野下アパートは、竣工が1929年(昭和4年)である。
ここは建替事業でザ・パークハウス上野(三菱地所レジデンス)として生まれ変わるのだが、もう完成して入居開始が始まっただろうか。まあ 新しい建物にはあまり関心が無いので、この報告書についてだけ書いておこう。
今、戦前の鉄筋コンクリート建築物のコンバージョン・プロジェクトに参加しているので、どうしてもその頃の建築物や法令に触れることが多い。
この調査報告書では、コンクリート採取数が1号館で38本、2号館で31本 合計69本と4階建て延べ床面積2,093.99㎡(1号館556.80㎡、2号館1,537.19㎡)と約30㎡/1本となり採取コアが多い。現在の耐震診断の基準である3本/階から見ると約3倍の数となっている。
このコンクリートコアの圧縮強度試験は、柱・梁・壁・床と部位別と全体が示されていて全体で平均圧縮強度21N/m㎡という結果が報告されている。ただし床データを除外した場合には平均が19.5N/m㎡、標準偏差6.1N/m㎡となっている。
戦前の建物の構造部位別の調査報告というのが少ない。「同潤会アパートの施工技術に関する調査研究」(古賀一八他、2004年)で同潤会大塚女子(1930年)、同潤会青山(1927年)、同潤会江戸川(1934年)では、平均圧縮強度の部位別の内訳が不明なため強度や標準偏差の単純比較ができない。
今、関わっているプロジェクトでも数年前に耐震診断調査が終わって構造評定を取得している建物なのだが、コア採取が内部壁だけなので良くわからないことが多い。
ともあれ、学術調査でこれだけ念入りな調査を行い、調査報告書が世にでてくることは大変ありがたいことだ。
昨年出された国交省の技術的基準、国住指第1号平成26年4月1日「建築基準法第3条第1項第3号の規定の運用等について(技術的助言)」でも歴史的建物の活用で「包括的同意基準」を行政が策定することを推し進めるものだ。
ようやく歴史的建築物の活用にひとつの風穴があいたように思う。
以下、国住指第1号平成26年4月1日「建築基準法第3条第1項第3号の規定の運用等について(技術的助言)」の抜粋
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1.法第3条第1項第3号の規定の適用に当たっては、歴史的建築物の保存活用が円滑に進むよう、地方公共団体が建築審査会の同意のための基準(以下「同意基準」という。)を定め、当該同意基準についてあらかじめ建築審査会の包括的な了承を得ることにより、別途、地方公共団体に設ける歴史的建築物の保存活用や構造安全性に詳しい者等により構成される委員会等において個別の歴史的建築物について同意基準に適合することが認められた場合にあっては、建築審査会の個別の審査を経ずに、建築審査会の同意があったものとみなすことができること。
2.建築審査会における同意基準の策定に当たっては、地域における歴史的建築物の実情や要望、歴史的建築物の保存活用や構造安全性に詳しい者等の意見を十分踏まえて対応すること。
また、同意基準の内容としては、次のような事項を定めることが考えられること。
ⅰ)条例で定められた現状変更の規制及び保存のための措置が講じられていること。
ⅱ)建築物の構法、利用形態、維持管理条件、周辺環境等に応じ、地震時等の構造安全性の確保に配慮されていること。
ⅲ)防火上支障がないよう、出火防止、火災拡大防止、近隣への延焼防止及び消防活動の円滑性の確保に配慮されていること。
ⅳ)在館者の避難安全性の確保に配慮されていること。
3.条例を定める地方公共団体が特定行政庁でない場合、特定行政庁である都道府県知事は、当該地方公共団体の意向を十分踏まえ対応すること。
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建築基準法では、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する基準を定めているが、その中には、特定行政庁が建築計画や周辺状況等を勘案して、やむを得ないと認めたうえ建築審査会の同意を得る等の所要手続きを経た場合に、特例的に制限を解除することができる許可制度がある。
その中で許可事務の迅速化を図るため、基準に適合する場合は、あらかじめ建築審査会の同意を得たものとして取扱う「包括同意基準」を定めている。
この包括同意基準に適合しない場合は、特定行政庁が審査のうえ、許可相当と判断された場合に限り、個別に建築審査会に諮り、同意を求めることとなる。(とは言え実際は難しい)
最近、九州で法第43条第1項ただし書道路のケースに遭遇した。法第43条第1項ただし書道路の運用基準が定められていて、それに沿っている場合は、建築審査会の同意が不要との事だった。ちょつと調べてみると横浜市とかさいたま市とか「包括同意基準」「運用基準」を定めているところは多かった。
地域によっては、法第43条第1項ただし書道路の許可申請が、年間を通し大量に出される場合がある。
それらに対応するため、平成11年5月の法改正まで建築主事による運用が図られてきたことを受け、一般的な事例については運用基準をつくり、この基準に対して事前に建築審査会の同意を得ることにより、円滑な許可業務の執行を図ることが目的となっているようだ。