小倉のリバーウォーク北九州の14階にある「ゼンリン地図の資料館」に足を運んでみた。
平日の午後だが貸切状態だった。
床面にあるのは伊能忠敬の日本地図。その精緻さに驚き、地図の上を歩くという喜びに思わずステップしてしまう。
アジア太平洋戦争後の東京・名古屋・大阪の空襲被災地図が特別展示され、焦土と化したと言うことを改めて確認した。
小倉の海側の工業地帯を見る。
貴重な地図がコレクションされていて、地図好きにはたまらない資料館。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
東京ビッグサイトで開催されている第16回厨房設備機器展を見てきました。
北九州出張から帰ってきた翌日で、少しお疲れモードで集中力欠如気味だったのでデスクワークには向いていない一日のため出かけることに。
入場者が多かったですね。それだけ「食」に関わる生業の幅の広さが伺えます。
会場内では写真撮影禁止なのですが、スマホで記念撮影している人がちらほら。
(株)TOSEIさんの真空包装機・トスパックシリーズは興味深かった。真空・脱気・ガス封入・ホットパックと様々な食品と目的に合わせたパック方法。
(株)フジマックさんのコンビオーブンシリーズも力の入った展示。実は招待状はフジマックさんからいただいたので御挨拶。今や庫内の洗浄も自動なんですね。
その他、大小ブースに興味深い商品が多数。
新しい食に関する機器や厨房機器の商品知識を常に見聞きしているのは大事ですね。刺激的だし、結構試食とかもできるので楽しいです。
二時間あまりしか会場にはいられませんでしたが、足は疲れたけど有意義でした。
2/19(金)まで開催中です。
昨年2015年8月8日に公開された「日本のいちばん長い日」には、多数の戦前の建物がロケ地にされている。
その中のひとつで記憶に残っていたのがこのシーンに使われていた建物
映画の中では、陸軍軍事課・軍務課・情報局オフィスのシーンで使われた。
徹底抗戦を叫ぶ青年将校達が作戦を立案したり、東条英機に徹底抗戦を促されるシーンのロケ地。映画の中では、わりあい重要なシーンの背景になつている。
そのシーンのロケ地が、「旧京都市立清水(きよみず)小学校」。「きよみず」と言われるとピンとくるでしょ。そう「清水寺」の近くにあった小学校。
[mappress mapid=”18″]
この建物は、昭和8年に竣工し平成23年3月に閉校した御年83歳の老建築。
しかし、この建物なかなか風格がある建物で、メンテナンスが行き届いていたのか状態が良い。京都市から耐震診断の報告書が公表されているがIs値もそんなに悪くない。
映画の中で一番多く登場する講堂
階段
実は、この建物 2004年「京都市資産有効活用基本方針」に基づき、2016年にプロポーザルが行われ事業者が選定される予定だ。立地的にホテルやブライダル施設への転用が計画されている。一方、民間事業者に賃貸することに対して地元の人たちの反対意見も多いようだ。
4月より始まる電力自由化に向けて営業活動が活発化しているようだ。
先頃 東京電力より「プレミアム」プラン加入のすすめと称する案内が送られてきた。事務所併用住宅なので年間約10,000kwh使用している。
東京電力「プレミアム」プランだと -4,100円/年安くなるという。そんなものしか安くならないのかと思っていたが、東京ガスからも案内がきて、ガス+電気セット割りで、月別電気使用量を入力してシュミレーションしたら約-8,800円だった。ちなみに現行契約は従量電灯B、50Aである。
他の会社のもシュミレーションしてみようか。
2/3追記
ソフトバンク電気でシュミレーションしたところ約-9,000円/年だった。
危機管理上、電気+ガス+ネット 全てを一社に依存する気にはならない。又安ければ良いと言うものではないが、気持ちとしては東京ガス(ガス+電気)に振れている。
もうすぐ14歳になろうとする次女(犬・ゴールデンレトリーバー)が、正月明けから腰がたたなくなり、散歩や外での排尿・排便ができなくなった。
獣医師からの指定で薬を投与したところ、多少腰があがるようになり、腹這いも少しできるようになった。
体重が30Kgぐらいあるので、動物用のオムツでは間に合わず(しかも高い)、人間用のパンツ型オムツにしっぽの部分は切れ目を入れ対応している。
幸いまだ食欲はあり、排便にも異常がないのだが、寝たきり老犬の介護をするようになった。パンツを取り換えて陰部をふいてやると甘えてくるからまだかわいいところがある。
他界した人間の両親は介護することがなく亡くなったが、ここにきて老犬介護をするようになるとは思ってもいなかった。前に飼っていたラブラドル(次男)は12歳で心臓が悪くあっけなく死んだが、次女にはできるだけ長生きしてほしい。
私が仕事をしている部屋の片隅で寝ているので、オシッコ臭いのには閉口し、寒くても窓を開けて換気している。
2/5 追記
そういえば仕事も古い建物のフルリノベが多いので「老建介護」。私生活は「老犬介護」で笑える。
2/10追記
次女は、2016年2月9日早朝 永眠しました。
享年13歳9カ月(人間年齢で約93歳)
2/10 葬儀を執り行いました。
2歳頃 海辺を走り回る姿
オフィスビルの余剰床のコンバージョンの一つの案として提案されたり、採用されるのが「貸会議室」。
注意しなければならないのが、東京都安全条例ではその用途が200㎡を超えると「不特定多数の者が集会等に利用する建築物又はその部分」として集会場として取り扱われること(都安全条例第9条第7号)。集会場となると既存の建物の避難経路では、ほとんど対応できない。(都安全条例第40条から第52条)
ゆえに私のようなコンバーターは、基本的に集会場扱いを避ける。
建築物としては、文化会館・市民ホール・多目的ホール・結婚式場・葬祭場・セレモニーホール。建築物の部分としては、大会議室・ホテルの大宴会場。
日本建築行政会議の「建築確認のための基準総則・集団規定の適用事例(2013年版)」では、200㎡以上で、全国的には概ね200㎡以上なのだが、横浜市では「すべての集会室が200㎡以下で、かつ、その床面積の合計が1000㎡以下」だと集会場に該当しない。
ただし熊本県は300㎡以上。
いくつかある貸会議室の最大の一室の床面積が200㎡未満であれば、集会場に該当しないが、例えば199㎡の貸会議室が10室あり合計で1990㎡あっても集会場には該当しないというのも変なもんだ。
固定席でない貸会議室の定員は、床面積を1㎡で除するのが一般的だから200㎡なら定員は200人となり、前例の1990㎡の貸会議室がすべて利用されていると1990人が定員となる。実質はテーブルなどがあるから0.5人/㎡程度になるからその半分ぐらいとなる。それでも定員は995人=約1000人となり、建物全体では地方都市の大ホール以上の定員でも集会場とならないというのは避難上どうなんでしょうかね。
やっぱり横浜市のように、全体の面積の上限を定めておくのが妥当なのではないだろうか。
2015年のインバウンド(訪日外客数)が過去最高の1973万人を超えたという日本政府観光局(JNTO)の発表があった。
東京の街には外国人(アジア系)が溢れ、ホテル建設ラッシュが続いている。とりわけ品川周辺のホテル用地の価格が高騰しているらしい。さらに規制緩和で「民泊」が話題に上がっている。
JNTOの資料を見ると2015年の年計では、中国・韓国・台湾・香港の東アジアからが72%。東南アジア+インドからが11%で全体の83%がアジア系の観光客のようだ。
元々、池袋はリトルチャイナタウン(北池袋)があるぐらいだから中国人は多いのだが、それに加えて日本語学校が増えているらしく街を歩いていても聞いたこともない言語が飛び交っている。
昨年年末まで業務が押しており、年明けてそれらの修正・補足に追われていた。そうはいっても年賀状も年末に間に合わせて、毎年恒例のTAF通信(PDF)も発行できた。そして2016年の事業計画書を作成して社内協議をした。もっとも二人だけ・(笑)
近頃、ようやく時間があいてきたので色々なことを考える。
その中で考えたのが、これからの日本社会・経済の動向。
インバウンドが増えたのは2015年の円安、原油安=燃油サーチャージの値下げによる航空運賃の低下、ビザの大幅緩和等々に起因している。
さて、これからどうなっていくのだろうかと思うと2016年は円高になりそうだし、右肩あがりでインバウンドは増加していくだろうか。
今はやりの「民泊」という怪しいビジネスモデルに手を出して資金回収を図るころには、東アジアの観光客が大幅減ということにならないとも限らない。
消費税10%になると、また国内消費者の需要は低下するのだろう。一定の駆け込み需要の後は反動があるし、死んだ親父が東京オリンピック(私は小学生)の後の数年は不景気だったと言っていたのを思い出すと202×年まで・・・
そんなことを考えると暗澹とした気持ちになる。
以前買って読み半端な「下流老人」という本を読んだ時のような気分。
2008年日本建築学会賞(業績)を受賞した「求道学舎」の再生の全貌を設計者であり施主であり住人である著書がその全貌を綴っている。
東大正門にほど近い本郷の住宅地にあるこの建物は、大正15年(1926年)に学生寮として建てられた。
求道学舎の建物を生かしつつ、62年間の定期借地権付き分譲マンションとして再生された。元はワンルームだった部屋を複数連結し、小家族向けの住戸に改造している。
こんにちでは文化財ではない戦前の建物の多くは解体されているが、この求道学舎は戦前の建物として改修・再生事例として取り上げられることが多い。求道学舎は耐震診断時のコンクリート圧縮強度は公表されていないが、「コンクリート強度は戦前のものとは思えないほど良かった」とこの本でも書かれている。
この建物は耐震性能を確保するために、コンクリートの打増しや外壁仕上げ下地にポリマーセメントモルタルの吹付け等の工事を行っており2009年の改修・再生時に約100万円/坪の工事費がかかっている。(延べ床面積768.1㎡=232坪、概算改修・再生工事費 約2.3億円として~公表資料による。)
求道学舎は、リノベーションと言ってもほぼ新築するのと変わらない工事費がかかっているので、経済合理性を第一番に考慮する民間における一般的なリノベーションとして適用するのは比較しづらい。
恐らく収益性の高い分譲マンションというビジネスモデルだったから成立したのではないだろうか。
以前、この建物の外部だけ見させてもらった事があるが、都心とは思えない静かな住宅地に大正・昭和の雰囲気をかもしだしていた。
日曜日、中古一戸建て住宅の内覧に付き合った。
業務の一貫ではなく、ボランティアのようなもの。
ネット検索等で絞り込んで、これぞという物件の内覧であり、かつ探し始めて最初の内覧だった。
私には、物件の住所の丁目までと建物の外観・間取りがわかるとネット上で事前に位置を特定(住所・地番)することができるという得意技があって、この日も的中していた。
物件は築15年の中古一戸建て住宅だったが、建物の状態が良かった。恐らく小さい子供が住んではいなかったからではないかと思う。
内外装、設備機器に大きな問題箇所はなかった。
居住中の物件だったので隅々まで見るのは遠慮したが、家具類が片付けられ、ハウスクリーニングをかけたら見違えるようになるだろうということでは内覧参加者の意見が一致した。
今回の建物は、建築確認申請の許可書は添付されていたが完了検査済証はなかった。建蔽率・容積率の違反はないので銀行融資は問題ないだろうが、完了検査済証が無くても不動産の商品として瑕疵にはならないというところに、日本の不動産商品のコンプライアンスの不十分さがある。
周辺環境で道路の幅員がもたらす空間のゆったりさは、とても大事だと思った。細街路の地域に比べると全然違う。住宅街のせいか日曜の日中でも人が歩いておらず車もほとんど走っておらず静か。
私の住んでいる木密地域は、細街路だし電車の音はうるさいし、日当たり悪いし住環境としては散々なのだが、交通利便性の良さと見知らぬ人が立ち止まったりしていると近所の人が監視していてくれて防犯上はとても安心していられる。
今回出てきた問題は、小学校・中学校の学区の問題。若いお母さんは、色々と学校の評判を調べてきたりしていて とても教育熱心。学校への距離は、1km以内なら問題ないのだが「質」が問題とのこと。
小中学校の有名校への進学率とか勉強熱心な地域は、住宅不動産の価格は高いらしい。そういえば豊島区と文京区の区界周辺に住んでいるのだが、文京区の住所だと不動産の価格が変わると聞いたことがあった。
中々 勉強になるわい。
依頼者には、不動産屋はあれこれ浮気しないで、第一印象でここぞと思ったらそこに探してもらうと良いでしょうとアドバイスしていたが、応対してくれた若い営業担当者の説明には、好感を持てたようで以後の物件探しをこの営業担当者を通じて行うことにした。他社の扱い物件でも気に入ったものがあれば連絡することにした。
窓口になってくれた営業担当者の第一印象はやっぱり大事だなぁ~。
常々「中古住宅を購入しリフォーム・リノベーションしたら」と吹聴していたからか、年末に中古一戸建て住宅の物件探しに関わつた。
建築を生業としながらも住宅には ほとんど関わりがなく工務店とか不動産屋さんを知らないので ほぼネット検索に頼った。
依頼者からリストアップされてきた物件について意見をつけて返し、自分でもネットで検索し良さげな物件をリストアップしたり、仲介業者に電話をしたりしてみた。
依頼者からの要望は、二世代住宅で5LDK程度、駐車場は1台で出来ればビルトインタイプでない方が望ましい等。通勤の関係で探すエリアは概ね決まっていて、依頼者からの注文を整理して文書にして探した。
まずは、新築一戸建て住宅を探した。
基本的には建売住宅の売れ残りなのだろうか、規模は4LDK程度だが予算と最寄り駅からの距離など諸条件に合致するものは沢山あった。
両親に二部屋(在宅の仕事部屋が必要)、兄弟が来た時の部屋とか要望を入れると5LDK以上の物件は、新築一戸建て・建売では商品がない。さりとて注文住宅をと土地を探してみると更地の場合は、ほとんど建築条件付きとなり不動産屋に毛の生えた程度の住宅会社に頼むのは不安だと言う。
ということで1部屋減らせば諸条件に合致するというのがわかった。
そこで 中古住宅一戸建てを探してみた。
それこそ標題のように「帯に短し襷に長し」なのだ。
中古一戸建て住宅を商品としてみたとき欠陥もあり、建物が単に古くなったものとだけでは言いきれない色々な問題を内包している。ストック活用といいながらも空き家になつてしまうのがわかるような気がする。
【写真は、1歳2ヶ月になった初孫の初めての靴】
2015年もまもなく終わります。
今年を振り返ると、業務を通じて戦前の法律である市街地建築物法やその成立過程について詳しく勉強する機会がありました。そうしたことが刺激になり近世から建築基準法成立までの「日本建築法制史」が整理できてきました。また建築ストック活用・再生・リノベーションというような業務からイノベーションの領域に足を踏み入れた一年でもありました。
私事ではありますが、昨年の暮れに長女夫妻に子どもが生まれ、また今年初夏には長男夫妻に子どもが生まれました。たてつづけに二人の女の子の孫がいる爺ちゃん・婆ちゃんになってしまいました。
爺は、孫の誕生によって全体的には後ろ向きだつた物事に対する意識・姿勢が前向きに変わりつつあること。子どもたちの頃には、無関心に近かった食の安全、保育、子どもを巡る社会環境等に俄然関心を持つようになりました。
「生きがいは?」と聞かれたら「孫」と躊躇なく断言する爺・婆です。
そんな二人が運営する事務所ですが、2016年以降は異なる領域のコラボレーション「建築×食・栄養」によってイノベーション業務に関わっていければと考えております。
来年度も引き続きブログを中心に書き続けていきますが、幾つかの領域に関するコンテンツを結合したものに再編成したいと考えています。
今年の更新はこれで終了とさせていただきます。
今年1年間のご愛読に感謝いたします。ありがとうございました。
来年も引き続きご愛読のほど、お願い申し上げます。
来るべき新たな年が、皆様にとって良い年でありますように。
毎年末の一級建築士の合格発表を見ていたら、今年の一級建築士の実受験者数は2万5千人あまりだったようだ。昔は毎年5万人ぐらい受験していたものと記憶していた。どうも2005年頃から低下し始めて、ここ10年程で半減したようだ。
国内の名目建設費は1992年の92兆円をピークに20年間下がり続け凡そ半減したあと、2010年・2011年頃を底に上昇に転じている。しかし2013年の東日本震災復興と2020年の東京オリンピックで一定の上昇はするだろうが、その後の未来はよく見えない。
一級建築士の受験資格があるのは大学の建築系学部を卒業して実務2年だから、年齢にして24・25歳というところだろうか。今の受験世代は、国内建設投資が下降してきた時代に育った世代で、建設業界では失われた20年とも言っているが、建設業の倒産、リストラ、他業界への転出に見舞われた時代だった。
私が一級建築士に合格したのは1982年。学生時代に見えていたのは建設業の輝ける姿だった。その象徴はゼネコンだったし、組織設計事務所だった。
今年11月、鴻池組が積水ハウスの傘下に入ったと報じられた。フジタは、2013年に大和ハウス工業に買収された。今後も不動産大手がゼネコンを傘下におく傾向は増えるだろうが、時代は変わったのだと思った出来事だった。
進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」と、また最近耳にすることが増えている。2013年に小泉首相の所信表明演説で引用されたけど、この言説はダーウィンの著作にはなく、後の時代の創作であるというのが定説。まあしかし「変化に対応する」そういうことなんだろうなとは思う。
余談だが、本来のダーウィンの学説からすると「変化に対応できるというより、繁殖能力の高いもの」が生き残るらしい。
「子供の貧困問題:放置すれば経済損失2.9兆円 日本財団」というショッキングな記事が、毎日新聞12月3日号で報じられていた。
http://mainichi.jp/select/news/20151203k0000e040222000c.html
「研究は、今年7月~11月、日本財団と三菱UFJリサーチ&コンサルティング(東京都)が実施した。15歳の子ども約120万人のうち、ひとり親家庭の15.5万人、生活保護家庭の2.2万人、児童養護施設の0.2万人の計約18万人を対象とした。子どもの時の経済格差が、学力や進学率の教育格差を生み、将来の所得に影響すると推定し、現状のままの場合と教育格差を改善した場合を試算した。
大学や専門学校などへの進学率は80%に達しているが、貧困世帯の子どもは32%にとどまる。18万人の就業状況を推定すると、正社員は8.1万人、非正規社員3.6万人、無職4.8万人などとなり、現状では64歳までに得る所得の合計は約22.6兆円だった。
一方、何らかの対策が行われ、高校の進学率、中退率が一般家庭の子どもと同じになり、大学などへの進学率が54%まで上昇したと仮定すると、正社員は9万人に増加し、非正規社員は3.3万人、無職は4.4万人に減少して、合計所得は約25.5兆円に増えた。
所得が増加すれば、国に納める税金なども増える。税と社会保険料の個人負担額から、医療費や生活保護費などの給付額を差し引いた「純負担額」は、現状では約5.7兆円だが、改善すれば約6.8兆円になった。
厚生労働省によると、17歳以下の子どもの貧困率は16.3%(2012年)で過去最悪を更新し、6人に1人が貧困状態にあるとされる。日本財団は「子どもの貧困を経済的観点から見た調査はこれまでなかった。国民全体の問題と捉え、官民の対策の後押しになれば」としている。【黒田阿紗子】」
外国の子供の支援をしているどころではなく、足元の日本の子供たちの貧困が危ぶまれているのだ。慈善事業に頼ることなく、緊急に経済対策としても取り組まなければならない。
もう10年ぐらい前に出版された本なのだが、仕事で煮詰まったときに、この本で取り上げられているホテルのスケッチをながめ、ネットでホテルを検索して、HPを見ながら海外旅行やそのホテルに泊まった場合を夢想するという、私にとって息抜き、ちょっとした現実逃避のための本である。
1994年に「TOTO通信」に連載されていた時から楽しみにして読んでいた。ここで取り上げられているホテルの多くが五つ星や四つ星の高級ホテルで、いつかは泊まってみたいなぁ~と、あこがれていた。
若い時にイタリア・コモにテラーニのカサ・デル・ファッショを見に行った時は、貧乏旅行だったし、高級ホテルは調べてもみなかったのだが、コモ湖畔の「ヴィラ デステ」は五つ星でも星が足りないとも言われているホテルだし、私が生まれて初めて海外で訪れた地がウィーンだったのだが、そのウイーン中心部にある「ホテル・インペリア・ウイーン」は迎賓館とさえ言われている。
アジアでは、ベトナムの「ホテル コンチネンタル サイゴン」とか、台湾の「ザ・シャーウッド台北」とか、自分でも手の届きそうな宿泊料のホテルもあるのだが、30歳代を最後にすっかり海外旅行とは御無沙汰してしまつた身としては、これら高級ホテルに宿泊するのは今や高嶺の花であり、夢想するにすぎないものになっている。
仕事で国内のホテルに泊まっている方だとは思うが、大概は駅近くのビジネスホテルの無味乾燥な客室ばかりではあるが写真撮影と軽く実測はするようにはしている。こうしておくと、空間のスケール感覚を養うことができる。
さて今夜のホテルはどこにしょうか・・・。
異質なものに触れると脳が活性化され認知症予防になるからという友人の誘いで日本建築学会の第10回住宅系研究報告会に行ってきた。
たまに電車に乗って出かけると、目で見るもの聴くもの全てが刺激的だ。
田町の建築会館に来たのは何年ぶりだっただろうか。
この住宅系研究報告会は、建築計画委員会・建築社会システム委員会・都市計画委員会・農村計画委員会が共同で開催しているらしく、購入した論文集も豊かな内容だった。
第一日目の午後の部である、セッション2「集落の地域性と空間構成」とセッション3「復興とすまいの諸相」、パネルディスカッションの「地域に『住ま・ふ』ためのストック考~住宅系研究の次の10年を見据えて」のみの参加となったが、それぞれ報告者との質疑回答も活発で楽しく聞かせてもらった。
通常、住宅系の仕事には触れていないので、友人の言うように異質のものに触れると確かに脳の活性化にはなるようだ。
■食の貧困化は全世代に~とりわけ重大化している子どもを巡る「食」の貧困化
日本では、子どもの6人に1人が貧困状態にあると言われています。その背後にあるのは、家庭の貧困であり親たちの貧困です。とりわけ、ひとり親(シングルマザー)家庭の貧困率は50%を超えており、深刻な状況となっています。
又、朝ごはんを食べないという食習慣を親から子へ引き継いでしまっている場合もあります。
その中で、子ども時代のまっただ中にある子どもたち、特に貧困状況にある子どもたちに対し、美味しい食事・幸せな時間・地域とのつながりを無料や低価格で提供する「子ども食堂」の試みが、全国各地で行われ急速に広がっています。
聞くところによると現在、都内で22件の子ども食堂が活動していると言われています。
これら子どもは無料若しくは低価格で、ごはんを一緒に食べようという試みです。しんどい状況にあるシングルマザー親子に「実家の様な居場所を地域につくろう」、地域で「子どもたちを見守りサポートしよう」という地域の連携の中から地域を活性化するまちづくりの取組みでもあります。
子どもだけでなく非正規雇用が40%を超えた日本では若い世代でも、「下流老人」が増えている高齢者の世代でも「食」の貧困は進んでいます。
■地域の実状や要望に応じた「食堂」が生まれている
「子ども食堂」や「ユースカフェ」、「おとしより食堂」等の世代別の企画や、通常の食堂の運営の中に組み込むなど多種多様です。しかしながらボランティアが寄付などによって運営をまかない月2回程度の食事を提供することにとどまっています。月2回の食事だと一日3回、月90回の食事のうち2/90=2.2%の食事を援助しているに過ぎません。
■ボランティア運営からビジネスモデルの策定を指向
もっと恒常的に食事を提供できないか、こども達の居場所を作ることができないか、そんな思いの中から小さくてもビジネスモデルを確立して、「家業」で運営していく「食堂」を作ろうという動きが始まっています。
■地域活性化食育プロジェクト
名付けて「地域活性化食育プロジェクト」です。
食事を提供するだけでなく空き店舗・空き室の利用を図り、地域での交流を促進します。これらは、まちづくりの活動でもあります。大学・地域・行政との連携をはかりながら弊社は、その活動の中心を担っていこうと思っています。
■高度集積化ではなく住み続けられるまちづくりを
街は再開発が進みタワーマンションが建てられ、既住民の約80%以上が住み慣れた場所を去らねばなりません。一説によるとタワーマンションの2/3の住民は、転入者であり職業は医者であると言われています。
今、子どもたちの間では親の職業による差別やいじめがあると指摘され、地域に今までになかった職種の偏りを生じさせ、「いびつな街」を生み出しています。
長年関わってきた建築業務によって、いびつな街が生まれてきてしまったという現実は悲しいことです。残り少ない時間を人に役立つことをしていきたいと考えているこの頃です。