第五条 長屋の各戸の主要な出入口は、道路又は道路に通ずる幅員二メートル以上の敷地内の通路に面して設けなければならない。
【長屋】東京都建築安全条例
第五条 長屋の各戸の主要な出入口は、道路又は道路に通ずる幅員二メートル以上の敷地内の通路に面して設けなければならない。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
以前より、その安全性が問題になっていた「重層長屋」。
都内では、足立区、世田谷区、練馬区などで「大規模な重層長屋」の計画や建設が進められています。
足立区西竹の塚2丁目に建設中の重層長屋の建築確認の取り消しを求める審査請求が提出されました。今後、足立区建築審査会で審議がされます。
12月22日、東京都建築安全条例の規制を強化するよう求める意見書が足立区議会本会議で全会一致で可決されました。
東京都建築安全条例に基づく長屋規制の見直しを求める意見書
当区において、現在、道路や避難経路の安全性を考慮しない複数の大規模長屋計画が予定され、建築工事が進められている。この状況は、震災時や火災時において長屋居住者や隣接住民の避難及び消火活動に困難をきたし、地域の安全を脅かしている。
このため、隣接住民より建築確認の取り消しを求める建築審査請求が提出されるとともに、地域住民からは建築確認の取り消しを求める要望書も提出されている。
しかしながら、「東京都建築安全条例」には、準耐火建築物の長屋に対する戸数制限などの定めがなく、今後もこのような長屋が多数建築されることが懸念される。安全な長屋計画を誘導するためには、都条例の規定整備が不可欠である。
よって、足立区議会は東京都に対し、良好な住環境の整備を図るため、東京都建築安全条例の見直しを強く求めるものである。
以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。
平成28年12月22日
議長名
東京都知事あて
足立区・東京都建築安全条例に基づく長屋規制の見直しを求める意見書
足立区竹ノ塚の重層長屋の接道は、行き止まりの法42条2項道路で現況幅員は1.8m~1.5mほどしかないとの事です。(下図・黒い線)
この法42条2項道路が接道する やや広い道路は法42条1項1号道路で、足立区道路台帳では、幅員5.4mほどしかありません。
建設中の建物が62戸(32戸と30戸の二棟)と大規模で、居住者は100人を超えることが予想されます。
近隣商業地域、容積率300%、建ぺい率60%、第三種高度地域、準防火地域、日影規制5-3時間、測定高さ4m、景観計画区域(一般)となっています。
東京都安全条例では準耐火建築物の長屋の戸数制限はありませんが、もともとこれほど大規模な重層長屋を想定した法整備ではありませんから、その安全性・防火性などについて地域住民が心配するのは当然だと思います。
赤丸部分が建設地で東武スカイツリーライン・竹ノ塚駅から近い立地です。
建築法からの考察は、さらに資料が集まり現地を見てから詳しく書くことにしたいと思います。
いずれにしても重層長屋については、社会問題化することが求められています。
*12/25 記事を修正しました。
「今時、立原道造を取り上げて本にした人がいるんだ」という驚きと敬意をもって、この本を読んでみました。
『詩人・立原道造の建築家としての思想を解読。自然豊かに書かれた透視図から「田園」を志向する建築感を始めて浮かび上げさせる』との内容説明がされています。
立原道造についての著作は過去にも多く、全集も出ていますし、その中には図面やスケッチ、透視図の類も収集掲載されています。著者は学部卒論の時から立原道造を調べていて、関係者の本も丁寧に拾われて立原道造の世界を探求されていますが、全体の印象は、過去の著作類からの「よくできたトレース」という感じを受けました。
それでも全集を読んだことがない、詩人・立原道造を知らないという建築分野の方が立原道造に近づくための入門書としての完成度は高いと思います。
私は、中学生の時に立原道造の詩に出会いました。多感で純粋な中学生には衝撃的な詩でした。高校生に入り、すでに勤めていた姉に頼み「新建築」を定期購読し様々な建築や建築家の存在を知りました。その一方「詩作」に励んでいました。
私にとって立原道造は、初恋の人のようなものです。
憧れの人であり、手繰り寄せて思想を分析する事など思いもよりませんでした。立原道造の詩と建築は、一体不可分で分離して考えることは出来ないと思います。
立原道造は、誰よりも先に花開き、誰よりも早く散ってしまった花です。
わずか24歳。
戦争の時代を生き抜いたら、侵略戦争を賛美し国威発揚の戦争詩を書いていただろうか。田園主義を捨て古典主義的建築を設計していただろか。
そんなことは誰もわかりません。
石本建築事務所を休職してからの北から南への旅は、軍国主義が闊歩する時代にあって、きれいなまま死するための旅立ちにも感じているのです。
自由学園明日館公開講座「近代日本住宅史」の2回目の講座は、同潤会の江古田木造分譲住宅(30戸)の中で唯一現存している国登録有形文化財・佐々木邸の見学会でした。
今回の見学会での写真撮影は自由でしたが、ネット(ブログ・SNSなど)では公開しないという約束になっていますので、代わりに日大芸術学部の写真を掲載します。
参加者32人が4班にわかれ、神奈川大学の内田青蔵先生や佐々木邸保存会の能登路先生らの説明を受けながら建物の内外を見させていただきました。
建物は内外部の細部にわたり意匠が施されており、中々見応えがありました。
コンクリートの基礎の高さが400mm、広縁床から地面まで600mmありました。
市街地建築物法施行細則(大正9)では、第17条で「居室の床の高さは一尺五寸以上」とあります。又第19条で居室の採光面積は1/10以上という規定がありますが、これらは充分確保されているようです。
もうすでに行われているのかどうか聞き忘れてしまいましたが小屋組み・基礎(床下)調査をしてみたいという思いに駆られました。
基礎に設けられた床下通気口が幅600mmと広めで効果的な位置に配置されていました。
洋間の天井高は、一番高い部分で床から2730mm、客間などの和室天井高は2570mmありました。
台所は復元されたと聞きましたが、流し台の幅で広い出窓があり、開口部も高さがあるので明るくて使いやすそうに思えました。
戦前の住宅では、よく「日光室」という名称が出てくることが多いのですが、当時結核は、太陽の陽にあたると良いと言われていたらしくサンルーム、広い広縁、日光室というのを住宅に取り入れることが流行だったというのは、新しい知見でした。
尚、佐々木邸について詳しく知りたい方は、『受け継がれる住まい :住居の保存と再生法』住総研「受け継がれる住まい」調査研究委員会 編著、柏書房、2016年刊の中で紹介されていますので、読んでみてください。
自由学園明日館公開講座「近代住宅史」で知りえた同潤会の勤人向分譲住宅と当時の建築法である市街地建築物法施行規則について調べてみました。
今度、昭和8年に建てられた江古田分譲住宅(30戸)の現存する住居を見学させてもらう予定なので、その予習みたいなものです。
なんと築83年の住宅ですね。残っていてくれてありがとう。感謝、感謝です。
既に神奈川大学の内田青蔵教授の研究などで発表されていますが、一次資料にあたる主義なので、まず昭和17年に発刊された「同潤会18年史」の勤人向け分譲住宅に関連する部分だけ読んでみました。
昭和3年に横浜市斎藤分町及び山手町に30戸、昭和4年東京市赤羽及び阿佐ヶ谷に30戸の分譲住宅を建設し、公募したところ「一般中産階級の異常なる歓迎を受け、希望者殺到して数十倍の多さに達する状況であった」と書かれています。
同潤会の勤人向分譲住宅は、東京、神奈川に合計20ヶ所、524戸建設されますが、昭和13年に「日支事変の影響を受け資材難に災害せられ、一時中止するの止むなきに至ったのである。」と書かれています。
東京市江古田及び横浜市斎藤分は土地付き分譲建売住宅、その他の18ヶ所は借地でしたが、借地年限は大体20年を標準としていて建物の返済が終わるとき借地の権利義務も同時に譲受人に移動することになっていたようです。
「同潤会18年史」には、この事業の平面計画、配置、付帯設備についての特徴が文章で書かれていますが、言葉だけでは理解しずらいので、この事業の分譲住宅を紹介している本を見つけたので読んでみました。
「便利な家の新築集」(婦人之友社刊・1936年・昭和11年)の中に「中流向け同潤会の分譲住宅」として昭和8年に竣工した大田区雪ヶ谷の一住宅が紹介されています。
敷地は約120坪、建坪35坪で将来の増築を考慮した配置になっています。
基礎の高さが地上1尺2寸(360mm)とあります。市街地建築物法施行規則(大正9)第17条には、居室の床高は一尺五寸以上(450mm)とありますが、その頃の主流は掘っ立て柱型式ですから、基礎の立ち上がりをコンクリート系にしているのは先進的だと思います。当時、基礎の高さは法的な規定はありませんから、かなりグレードの高い、戦後の住宅金融公庫の融資基準につながる設計方針だと思います。
その他、住まう人に寄り添った細やかな配慮ある設計が散りばめられています。
「押入れの床は、湿気を防ぐために、二重の板張りにして、その板と板との間に、フェルトを入れてあります。」「台所の天井のすぐ下には、湿気脱きの小窓を設けています」「台所の出窓を大きく取ってあるのは、台所の中を明るくするためにも、空気を乾燥させるためにも、また、洗い物を乾かす棚として使用するためにも、非常に便利」(流し台の給水栓先に出窓をとらず、流し台に対して90度の位置に出窓を取っています)等々
この雪ヶ谷分譲住宅の中の建坪31坪の場合、15年返済すれば自分のものなると書かれています。ちなみに当時の貨幣価値は良くわかりませんが、住宅料+借地料+経費で毎月36円弱の返済です。
2016年12月17日に神奈川大学の内田青蔵先生から御教授いただきましたところ、昭和9年大卒銀行員の初任給が月70円だそうです。ただ今の大卒と戦前の大卒では、その社会的地位がだいぶ異なります。また昭和7年の板橋区にあった賃貸住宅(3室)の家賃は月12円だったそうです。
今日は、自由学園明日館公開講座「日本近代住宅史」の1回目の講義でした。
講師は、神奈川大学の内田青蔵教授。
題目は「同潤会の住宅 1 -アパートメント・ハウス事業を中心に-」
同潤会については断片的な知識しかなかったので、設立の事業目的や内容を系統的に知りえることができ、とても有意義でした。
とりわけ同潤会以前の東京市の公的集合住宅の存在や、普通住宅事業としての戸建て住宅分譲は、新たに知りえた知見でした。
建築法制という側面だけで近代日本の歴史を追いかけていると視界が狭くなるので、全体像を把握するために時々内田青蔵先生のような建築史家の講義を聴くと新鮮な知見を得ることができます。
講義は満員御礼。
一時間半の講義予定が、ほぼ二時間になり、それでも話が足りない熱のこもった講義でした。
今回は、特別に夕方4時から講義だったので帰る頃には真っ暗でした。
夜の明日館は、室内外とも見たことが無かったので、かえって遅くの講義時間で良かったです。とりわけ夜間の室内の照明は、雰囲気がありとてもよかったです。
今度、ナイトツアーが月に一回程度あるようなので来てみたいと思います。
第二回目の講義は、現存している同潤会の戸建て分譲住宅の見学会で、今から楽しみにしています。
写真は、受付
小さな発見に満ちた北欧時間の流れる森と湖「メッツァ」・かねてより埼玉県飯能市に建設が予定されていたムーミンのテーマパーク。12月6日開園スケジュールやパーク内施設についてプレス発表がありました。
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北欧のライフスタルを体験できる「メッツァビレッジ」2018年秋開業
ムーミンの物語を主題としたゾーン「ムーミンバレーパーク」2019年春グランドオープンと二回に分けてオープンするそうです。
【画像は、メッツアサイトから】
「メッツァビレッジ」は、「本質的なこころの豊かさの発見」をコンセプトに、「挑戦」「創造」「共有」「解放」「探求」「想像」という6つの体験価値を提供する施設になるそうです。
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「ムーミンバレーパーク」には、ムーミン屋敷はもちろん、水浴び小屋、エンマの劇場、海のオーケストラ号、おさびし山の天文台などが設けられ、ムーミン原作の物語世界をたっぷり楽しめるものになるそうです。
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又、メッツァビレッジには宿泊施設やグランピング施設が用意され、滞在してゆっくり楽しむこともできるようです。
詳しくは、下記のメッツア公式サイトで
検査済証のない既存建築物の法適合性の確認については、平成26年7月に国土交通省より「検査済証のない建築物に係る指定確認検査機関等を活用した建築基準法適合状況業務のガイドライン(以下、「ガイドライン」)が公表され、指定確認検査機関が調査者になることができることが位置付けられました。
国交省に登録した指定確認検査機関は、31社(平成28年11月28日時点)です。
現在、国交省では「ガイドライン」の改訂に向けて検討が進められているそうです。改訂内容は、チェックリストの詳細化、調査方法、調査範囲の明示、指定確認検査機関の役割の明確化等が行われる予定で、「技術的助言」を発出する予定と聞きました。
これ先立って国交省が平成27年12月に全国425特定行政庁/450特定行政庁にアンケート調査をしたところ、「ガイドラインに基づく法適合状況調査の活用を図っているか」という設問に対して「あまり活用していない」が279特定行政庁65.6%という結果でした。
「活用されない理由は」
弊社は、指定確認検査機関勤務の経験も踏まえて、国交省「ガイドライン」以前から、全国の特定行政庁で個別に調査方法や調査箇所などの打合せを行い「2」の「ガイドライン」以外で直接特定行政庁に申請し検査済証のない既存建築物の増築・用途変更の申請を行ってきました。
一方、大阪府内建築行政連絡協議会(以下、「大連協」)では、「ガイドライン」ができる8年前である平成18年5月に「既存建築物の増築等の法適合性の確認取扱い要領」(以下、「取扱要領」)を制定し、各特定行政庁において既存建築物の増築、改築等を行う場合の法適合性の確認を行っていました。
「取扱要領」は、4回の改正を経て平成27年6月1日改正版が最新ですが、調査部位や調査方法が明確になり、書式等も統一されており実務に則しています。関西圏では、この「取扱要領」が浸透しています。
しかし法適合性チェックや申請手続きなどの具体的運用については各特定行政庁の判断にゆだねられていたようで、特定行政庁・指定確認検査機関の役割分担のあり方を踏まえ、既存建築物の法適合性の確認方法や審査方法における法的課題や審査リスクについて整理・検討が始まっているようです。こちらも来年には、改訂版が出てきそうです。
「検査済証のない既存建築物の増築等」は、「ガイドライン」に沿った「登録指定確認検査機関」しかできないという誤ったセールストークをする審査機関もあるようですが、そんなことはありません。
全国的視野に立ってみると、登録指定確認検査機関による「ガイドライン」調査は、一つの方法でしかありません。
「大連協」の改訂作業は、とても注目しています。
かねてより準備中でした「統括サイト」と「食・栄養領域サイト」を公開しました。
統括サイトURL 「てら・アソシエイツ」
食・栄養領域サイト URL 「ばばりんち」
http://tera-associates.com/food/
食や栄養に関する御相談をいただければ幸いです。
お問合せは、各サイトの「お問合せ」フォームより「送信」ください。
最近、知人から聞いた話ですが、
確認申請・実施設計が完了し、省エネ設置届をコンサルに依頼したら計算がOUTになったので断熱材の仕様を変更して省エネ設置届を提出した。仕様変更の旨を工事会社と建築主に告げたら、それは設計者の瑕疵だから断熱仕様変更に伴う追加工事費は、設計者が負担すべきとなり、設計監理料から減額されることになった。との事でした。
昔は、追加になっても工事会社で面倒みてくれたり、他の部分で変更してプラスマイナス0にすることもできましたが、今は 世の中余裕がないというか、すぐコンプライアンスがどうのこうのと言われる方もいるみたいです。
省エネ関係の法令や計算ブログラムは毎年のように変わっているので、過去の経験だけで省エネ仕様を決めていると、紹介した事例のように、あとで痛い目にあうこともあるようです。
弊社は、特定の会社の省エネ支援しかしていませんが、非住宅の建物用途も毎回異なりますし、形態も結構複雑なものが多いので計画段階から一緒に省エネ検討を行っています。断熱材の仕様選定、開口部やガラスの仕様選定は、計画段階で確定できます。
このところ省エネスタディーの毎日です。
栃木県壬生町にある「おもちゃ博物館」に連れて行ってもらいました。壬生町にはバンダイを始めとした玩具工場が集積しているおもちゃ工業団地があるとの事です。
モスラのような・・
建物的には、あまり面白いところはないのですが
子供達が沢山訪れて楽しそうに遊んでいました。
それが なによりです
3階のプレールーム
3階から建物の屋上部分を見る。
もう陽が落ち始めていました。
別棟の鉄道模型のジオラマ
東京都建築士事務所協会の「コア東京・2016・11月号」に掲載されていた「一級建築士の懲戒処分は今・平成28年度第1回一級建築士の懲戒処分の分析」加藤峯男さんの記事がとても参考になりました。
東京三会建築会議の「処分適正化」「処分問題の改善要望」への活動もあり、建築士法第10条の2の改正につながっている事を知りました。役員の方々が常日頃建築士の為に活動されている事に敬意を表したいと思います。
平成28年度第1回の建築士の懲戒処分は、今年業務停止処分を受けたA指定確認検査機関と、かってA社に所属した4人の確認検査員に関わる物件だと聞いています。いずれも指定確認検査機関から確認済証及び検査済証の交付を受けた物件であり、済証を交付した指定確認検査機関に対する国土交通省の監査で違反設計部分が発見され、それに係つた設計者=建築士の処分となっています。
もともと建築基準法第6条の2第6項には、下記のように記載されています。
現在の集合住宅の原型は、江戸時代の長屋ですが、明治時代になっても、その形態は継承されたと言われています。
明治期の建築法制では、長屋建築条例が各地につくられています。その「長屋建築条例」を全国各地から収集し比較分析した先覚者の研究も見られます。
深川江戸資料館の常設展示室では、天保年間(1830年~1844年)の深川佐賀町の街並みの一部(5世帯)を想定再現していますが、規模が小さい為か何となく雰囲気はわかるものの今一つです。東京では現存していませんが、大阪には現存し改修して今でも使われている長屋があるそうです。
深川江戸資料館の展示でも参考にしたのが、この『季刊大林・№13「長屋」』です。
この1982年に発表された『季刊大林・№13「長屋」』は、とても先駆的な研究であり、江戸と大阪の長屋の比較がされているうえに、長屋の平面図と立面図が再現されているため全貌が掴める内容になっています。
「長屋」は、社会的システムつまり法で規制するというのは、古くて新しいテーマです。
「長屋」は、共同住宅の一形態であるのに 何故 現代の建築基準法では「特殊建築物」と定義されなかったか。建築基準法では定義がなく、各地の解釈にゆだねられたのはどうしてか。今なお、各地で紛争を起こす「重層長屋」や接道の問題は、なかなか厄介です。
明治のころから「長屋」の防火性・衛生は、社会的問題だったということが分かる貴重な本です。
「侵略地建築」のあらましを理解する上で、その当時の生活を知ることは大切なことだと思っています。
例えば湾生である岡部茂さんは下記のように語っています。
「私は、大正7年(1918年)、台北市大正町で生まれ、台北一中を卒業するまで大正町4条(現在の長安東路付近)で過ごし、卒業から引き揚げまでは御成町4丁目(現在の中山北路2段、南京西路付近)で過ごしました。
父が当初、建設関係の仕事をしていたことから、新たに区画整理された住宅地の大正町で、今でいうモデルハウスのような家に住んでいました。上下水道完備、床は基本的に畳ではなくコルク、台風などの水害に備えて少し床高に設計、水洗トイレに収納付きと、大変ぜいたくな造りでした。
その後、御成町に移りましたが、住宅兼職場の岡部印刷は、もともと台北帝大医学専門学校の学寮を利用したもので、相撲の土俵やテニスコートがありました。近所には、台拓(台湾拓殖株式会社)の社長の家や辜振甫(台湾初の貴族院勅選議員・辜顕栄の長男。対中交渉窓口機関・海峡交流基金会の初代理事長)の家、米国領事館などがありました。」
日本本土と比べても都市インフラが整備され、中間所得層の豊かな暮らしぶりがうかがい知れます。
同じく湾生の川平朝清さんは、下記のように当時の台湾の建物の印象を語っています。
「私は、昭和2年(1927年)、台中の明治町7丁目4番地に生まれました。当時、そこは刑務所の近くで、沖縄から台湾に移った父母らは、そこの刑務所のクラブで仕事をしていました。ただ、私が物心ついた頃には、明治町の6丁目に移っていて、家の近くには台中地方法院(裁判所)があって、その建物が白く大きかった記憶があります。一番印象深いのは、台中公園にあった建物の大きな屋根です。
その後、5歳の時に台北の錦町に移り、旭尋常小学校、今の東門国小に通いました。
今年1月上旬に、台中の法院の跡と、台北の自宅跡地を訪れましたが、前者は、まだ建物が残っており、後者は、すでに別の大きなビルが建っていました。一方、台中公園の、あの大きな屋根も残っていました。」
川平さんは、ジョン・カビラさんのお父さんです。
こうして、映像や証言によって 建築が建てられた当時の人々の暮らしが重ねられ、現存している歴史的建築物にいのちが吹き込まれます。
食品衛生を研究しているパートナーの「災害時における生活用水の衛生」という研究テーマについて話を聞いていたら、過去の災害時においてライフラインが停止したときに、風呂、洗濯、トイレといった生活用水は応急給水によって十分な使用量を確保できないという事を聞きました。都市部ほど確保は難しいと過去の災害報告に書かれているそうです。
災害時の生活用水の確保のためには、一番は各自が雨水を貯めておくことが必要で、その他身近な河川や池、堀などから自ら採取して濾過して使用するしかないだろうということになりました。
そこで近くの神田川の水を採取しようと思ったら地面から水面までの高さがあり、一般の人が水を採取するのは難しいことがわかりました。その他は許可を得て公園や外堀の水を採取して実験に使用させていただきましたが、これらも災害時に閉門されたら一般人は使用できません。東京都心部は、生活用水に使用できそうな水場が意外と少ないことに今回気がつきました。
そんな中で思い出したのが、この本「雨の建築術」日本建築学会編、技報堂出版、2005年初版です。
もう十年以上前の本ですが、当時私は、流行のエコロジカルな建築デザインに矮小化して「雨」の建築的活用を考えていました。
この本は、国内外の実例が豊富に紹介されています。再読して「水問題」という視点で雨ときちんと向き合い、改めて建築の作り方が根本的な革新につながる雨水建築が必要だと思った次第です。
11/15「建築物省エネ法の詳細説明会」国際フォーラムに参加してきました。いよいよ来年H29年4月(予定)より、非住宅部分の面積が2000㎡以上の建築物の新築建物について、省エネ基準への適合義務化が始まります。
それについての適合義務(適合性判定)・届出マニュアルについて、設計図書記載例・工事監理マニュアルについて詳細が明らかになりました。
計算方法については、これまでの「モデル建物法」の5000㎡以下の建物に適用としていた面積要件を撤廃、中央式空調の評価を可能にし、建物用途の適用を現行8モデルから14モデルに選択肢を増やし、集会場モデルでは計算対象室用途を12に増やしています。
省エネ法の計算法である「標準入力法」から「モデル建物法」へと誘導しています。標準入力法とモデル建物では、その計算手間、審査手間は雲泥の差がありましたから、その誘導の意図はわかります。ただ弊社としては、同一建物で標準入力法と新モデル建物法の計算比較をしていませんので、これまでの建物を比較してどの程度の差があるかを把握しておきたいと考えています。
省エネ適合義務に合わせて設計図書への記載方法も変更する必要があり、仕上表や建具表、設備関係の機器表への対応が必要です。適合義務マニュアルに沿う設計図書が設計者・設計事務所に周知徹底されるかどうか不安が残ります。今でも従来通り、設計図書が完了してから省エネ届を依頼してくるケースが多いの現状です。仕上表への記載名称や数値は整合しなければなりませんが、それが相変わらず省エネ届出に対応していない為、あとから設計図書を是正してもらうことが多いです。また省エネ適合義務と建築確認申請の時期が同時期ですから、一定期間業務の混乱が起こる可能性が高いように思えます。
省エネ適合義務においては、計画変更申請と軽微変更が、ほとんど発生するものと予想しています。
業務が大きく増加しそうなのが工事監理と施工管理事務です。大規模な建物=設備工事監理担当者がいる。施工管理者(現場監督)が多数いるような物件では心配不要でしょうが、意匠設計者が工事監理全般をみているような建物、所長しか正社員でないような弱小現場での事務量増加による負担と責任は、これまでより、かなり重くなると予想します。
ともあれ省エネ適合義務に係る詳細が明らかになりましたから、スムーズに対応できるように、よく読んで準備を怠らないようにしたいと思っています。
檜皮葺・柿葺師である原田多加司さんの屋根職人としての経験をテーマ別に記述した本ですが、実に多方面な内容にわたっています。目次は以下の通り
[目次]
伝統技術という「方舟」(屋根はいかにして作られてきたか、檜皮葺と柿葺の文化 ほか)
技術は乱世に成熟する(古代技術の探究、伝播は同心円を描く ほか)
語られなかった海外神社の時代(海を渡った神々、海外神社の実態 ほか)
古建築修復の旅(式内社を歩く、「伊勢」と遷宮 ほか)
文化財の森を育てる(国有林開放までの道程、大学演習林の研究 ほか)
歴史的造詣の深さ、国内各地の文化財修復に携わられた屋根葺職人としての経験に裏打ちされた日本古来の技の世界が語られています。
私がこの本に興味を持った最初のテーマは「海を渡った神々」の項でした。
すなわち戦前の日本の侵略地に建立された「植民地神社建築」のあらましです。
原田さんの生家は、江戸時代中期の明和八年(1771年)創業の屋根職人の家で、代々屋根職人を継承され原田多加司さんが10代目とのことです。
その生家が携わった海外の神社建築が、明治34年(1901年)に台湾神社(後の台湾神宮)、明治42年(1909年)に関東州の大連神社・遼寧神社、明治44年(1911年)に樺太神社、大正4年(1915年)に鉄峯神社(満州)等に屋根職人として関わっていると書かれています。
明治から昭和20年の敗戦まで神社の国家体制の中での位置づけは、国家の宗祀(そうし)であり、祭政一致の姿を現出したものと考えられていました。今、再び神社を国家の宗祀にしょうと企てている人達がいますし、またあえて侵略地の神社建築を見ようとしない傾向もありました。
建築デザインとイデオロギーを混同あるいは同一視してはならないと思います。
私も古代史に関心があり、御朱印帳を持って各地の神社を巡っていますが、国家神道は相いれません。
侵略地神社建築は、これまで近代日本建築史の通史では取り上げられることがありませんでした。また戦時体制下の建築として 意匠的に優れていても まるごと否定されてきました。
侵略地神社建築は、ひとつも現存しておらず、わずかな資料しか残っていませんが、ここに一条の光をあてたことは原田多加司さんの優れた業績だと思います。
弊社社長が研究生となつている某大学学園祭に行き、研究発表を見てきました。研究テーマは数年に渡って別なものを探求していますが、学園祭の為の調査・研究は、毎年異なり今年は「災害時における生活用水の衛生」でした。
今年も大きな地震が多かったし、大雨や台風被害も多い年でした。
過去の地震災害時において飲料水は応急的に行き届くが、トイレ・洗濯・入浴等の生活用水の確保が中々難しいらしい。又河川や沼などの水を利用しようとしても その衛生状態は問題があるらしく、身近なものや市販されている浄水器で、入浴後の風呂の水・池や河川の水が、どの程度濾過することができるかという実験です。
この内容は、いずれ別な機会に詳しく発表することがあるかもしれません。
避難所に指定された体育館などでは、実は防災施設としての整備は不充分であることから、既存の避難施設に指定された体育館に防災施設を付与したものを造ろうという提案で図面を書きました。
「建築×衛生」の初コラボレーション提案です。
実に30年ぶりぐらいで、自分で模型のようなものを造りました。説明用の簡単な模型ですが、こういう展示会では模型は訴求力があるらしく、パネルよりは模型を見る人が多かったらしいです。
一晩で作って 少しは報われた気がします。
しかし 女子大の二十歳前後の女子達の話声は、騒音にしか感じられない爺(じじい)になってしまいました。学園祭から帰ってきてからどっと疲れて寝てしまいました。
日本のモダニズム建築の巨匠アントニン・レーモンドに師事した建築家の津端修一さんと妻・英子さんの、丁寧な暮らしを映したドキュメンタリー「人生フルーツ」の公開が2017年1月2日に決定し、樹木希林がナレーションを務める予告編が公開された。
敗戦から高度経済成長期を経て、現在を信念を持って丁寧に生きる90歳と87歳の建築家老夫婦の暮らしぶりを映し出している。
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。かつて日本住宅公団のエースだった津端さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきた。
1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。しかし、当時の日本は高度経済成長期。結局、完成したニュータウンは理想とは程遠い無機質な大規模団地だった。
津端さんは、それまでの仕事から次第に距離を置き、そして70年、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育て、ふたりは、ゆっくりと50年の時を生きてきた。
映画「人生フルーツ」は、2017年1月2日から、ポレポレ東中野(東京)で公開される。
現在、京都工芸繊維大学大学院特任教授の田原幸夫さんが、2003年に書かれた本・学芸出版社から発行された本です。
田原さんは、日本設計で歴史的建造物の保存活用設計に携わった後、2003年JR東日本建築設計事務所に移籍して丸の内駅舎プロジェクトを担当されました。
この本は、季刊「ディテール」(彰国社)に連載されていた原稿をもとに全面的に書き直したものと書かれています。
歴史的建造物の保存デザインについて「修復の手法」「置換の手法」「付加の手法」「新たな手法」の四つに分類整理し、世界各地の事例をあげ説明を加えています。
出版から10数年経過していますが、全然内容が色あせていない本です。
『「保存」においても「復元」においても、決して歴史をごまかしてはならないのである。そして歴史を正しく表現するなかから、本物の環境が形成されてゆくのだと思う。そこにこそ「保存デザイン」の目指すべき原点があるる』という田原さんの指摘は、今とても重要な指摘だと思います。
この本は、田原さんがベルギーのルーヴァン・カトリック大学コンサーベーションセンターにベルギー政府給費生として留学されたからだと思いますが、ベルギーの保存デザインの事例が多く紹介されており、ベルギーで保存活用の建築物を見る場合の参考になります。