
岐阜県中津川市付知峡のランプの宿・渡合温泉
撮影は2021年10月



椅子に座っているのは加子母の中島工務店社長



朝の目覚めに自家製甘酒をいただく
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
岐阜県中津川市付知峡のランプの宿・渡合温泉
撮影は2021年10月
椅子に座っているのは加子母の中島工務店社長
朝の目覚めに自家製甘酒をいただく
八幡堀
八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まるそうです。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけたと書かれています。
八幡堀は交通路や生活の場として長く機能してきましたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、忘れ去られた存在となり、草が生い茂りハエや蚊が発生しゴミが不法投棄されるなど公害源となったそうです。
一時は、埋め立てしまう計画があったそうですが、地元から反対運動が起き浚渫と復元により現在の状態になったとあります。
今は映画やドラマのロケ地としても活用されています。
かわらミュージアムの一画
今、八幡堀は近江八幡の貴重な観光資源となっていますが、先人達の環境を守る運動のおかげです。西日本でも江戸時代からの風情を残す数少ない場所となっています。
高山の老舗料亭・洲さき
高山陣屋から宮川にかかる中橋を渡ると岐阜県・最古の料亭・洲さきがあります。寛政6年(1794年)創業、建物は高山市有形文化財です。
司馬遼太郎の「街道をゆく」(飛騨紀行)に、洲さきを取り上げた章があり、飛騨美学の結晶が込められていると称えられています。
洲さきのために高山に行く価値があると断言する人さえいます。
たぶん大人になつてしか感受できない空間・料理・おもてなしが、ここには凝縮されています。
入口
暖簾を潜ると寛成当時のままの玄関、土間を抜けると右手に囲炉裏があります。
飛騨らしい造りで趣があります。
室町時代に始まる本膳料理という日本料理の一つの型式・作法を今に伝える店です。
洲さきの宋和流本膳料理は、茶の湯の心をふまえた料理で、第二代高山藩主・金森可重の長男、茶道宋和流始祖である金森宋和が好んだ本膳の形と味を整えたものとあり、現在は、本来30品ある料理を11品に絞り込んだ宋和流本膳崩を提供しています。献立は毎月変わるそうです。
京都の華美な日本料理とは異なる日本料理が継承・進化されているようです。
高山恐るべし。
東京の桜も散りだして神田川や目黒川が花筏(はないかだ)にならんとする今日この頃。
「富士屋 花筏」は、高山市の和菓子のお店。
高山市内は、歩いてみると意外と緑は少ない。その中で、高山の自然を感じられるような樹種を選んで配置されており、建物と庭がほどよく調和している。民家を改修した店舗の前一面に、四季折々の表情を楽しめる花木があり、景石や樹木等の配置もよく、癒される雰囲気を醸し出している。
店内
町屋造りの民家を、甘味処を併設した和菓子店に改築した建物だが、古い町家の風情を今も残している。落ち着きとなじみ易さがあり、町家を改修して現代的に活用した好事例。
設計は(株)西建築設計事務所、施工は林工務店。H19年高山市景観デザイン賞建築物の部・奨励賞受賞。緑のある修景の部・優秀賞受賞