飛騨高山の朝は早い
朝6時、駅前のホテルから歩いて宮川朝市に来てみた
高山は、交通の便はあまりよくなく、
午前中の業務の為に前泊した。
雲に覆われて店の数もまばら
生暖かい朝だ
陣屋前朝市も訪ねてみた
こちらは地元の人も買いにきており
農産物や手作りの漬物なども美味しいそうだつた。
朝市で買った茹でたてのとうもろこしを食べた
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
名古屋市本庁舎の隣にある愛知県庁
本庁舎は、1938年(昭和13年)3月完成
西村好時と渡辺仁の基本設計を基に、
工事顧問の佐野利器、土屋純一の指導の下、
愛知県総務部営繕課が実施設計を行った
頂部に名古屋城大天守風の屋根を乗せた帝冠様式の意匠が特徴的
鉄骨鉄筋コンクリート造、地上6階、地下1階、塔屋1階
平面形状は日の字型で、建築面積4,665.99m²、延床面積28,314.48m²、
高さ39.79m。重量は約73,400トン。
2002年 – 2003年度の構造調査で、
東海・東南海連動型地震で想定される
震度6弱の揺れにより中破もしくは大破すると予測されたため、
2005年(平成17年)12月から2009年(平成21年)12月まで免震工事を実施
【2021.04】現在は募集しておりません
現在、中部・関西・九州エリアで、主として鉄筋コンクリート造特殊建築物の既存建物診断調査に協力していただけれるエリア内の会社・調査員を募集しています。
【業務内容】
尚、これらの業務に係る未経験者・補助員は募集していません。又学生は原則不可です。
【費用】
【調査目的】
弊社は、建築基準法遵法性調査、建築基準法適合性状況調査、耐震診断・耐震補強設計、改修計画の立案及び概算費用の算出など既存建物の総合的調査を行い建築ストックのリノベーション、保存再生活用等の業務をサポートしています。
工事完了検査済み証のない建物、戦前の建物等の増築・用途変更確認申請をサポートする為、主として建築基準法第12条第5項報告を行政に提出し、これらの建物のストック活用に道を開いてきました。
業務エリアが西日本に広がり、東京から調査員を派遣すると交通費・宿泊費が嵩み依頼主の負担が大きくなりがちなので、これらのエリアで協力していただける会社・調査員を募集することとなりました。
【応募】
下記にMAILで履歴書(写真付き)、実務経歴書、ホームページ等がある場合は、URLを記載して送信ください。不在がちなので必ずMAILでお問い合わせください。
(株)寺田建築事務所 mail@taf2012.sakura.ne.jp
「写真は関門橋」
「関門海峡は、下関市と北九州市に挟まれた、響灘(日本海)と周防灘(瀬戸内海)を結ぶ「六連島」から「串崎」までの全長約27.8kmの区間をいいます。対岸との距離が最も狭いところは幅650mほどしかなく、そこを1日700隻もの世界各国の大小さまざまな船が絶え間なく往来します。」とある。
下関と北九州という県も異なり、海で隔てた地域で、ひとつの景観条例を制定しているのを北九州市に行って初めて知った。
関門景観条例において「関門海峡並びにそれに面した地域における山並み等の自然環境、歴史や文化が薫る街並み及び人々の活動により構成される景観の総称をいう。」と定義されている。
今回訪れたのは、関門景観条令の中の「門司港レトロ地区」。方針は「海峡が育んできた歴史とロマンを感じさせ夕日に映える港町の景観となることを目指す。」とある。
今度は、是非下関側にも行ってみたい。
写真背景は、今は亡き黒川紀章氏が手掛けたタワー分譲マンション。最上階に門司港レトロ展望室がある。
関門景観ポータルサイト
http://www.kanmon-keikan.com/
私事ながら、中学生の頃からの感心事に考古学・古代史があった。建築という極めて実利的な職業についてしまったが、高齢になりリタイヤしたら考古学・古代史の研究をしたいと思っていた。のだが、未だ実務からは離れられず、たまにそれらの本を眺めているに過ぎない。
もっとも出張のたびに、御朱印帳を片手に神社を巡るのは続けている。
ということで思い出したのが日本書紀の「木」に関わる一節
日本書紀第一巻の素箋鳴尊(スサノオノミコト)がヤマタノオロチを退治した後の部分で、素箋鳴尊はこの国には船がないからそれをつくるためにといって体の毛を抜いてまいた。
顔のひげをまくと杉。
胸毛をまくと檜。
尻の毛は槙。
眉毛は樟になりました。
そして「杉と樟は、この二つの木は浮宝とせよ。檜は瑞宮をつくる材料とせよ。 槙は青人草の奥津棄戸の棺をつくる材料にせよ。また食料としての木の実をたくさんまき、植えよ、とおっしゃった」
浮宝とは船のこと。瑞宮は立派な建物。青人草の奥津棄戸は墓所のことで、日本書紀が出来た頃には、すでにこうした木の使い方が知られて定着していたと思われる。
続いて「その言葉を守って、素箋鳴尊の子供である五十猛命、大屋津姫命、 □(※木辺に爪)津姫命らは木の種をたくさんまきました」という文があり、この一段前のところにも「たくさんの樹種を持って天から降りた五十猛命が、筑紫からはじめて、すべて大八州国にまき増やしていって、とうとう国全体を青山にされた」とある。
大八洲国とは日本のことで、素箋鳴尊とその子供の神々が日本中にさまざまな木の種をまき、木の生いしげった国をつくったとある。山はさまざまな木からなり、それぞれが異なるものだとすでにみんなが知っていて利用していた。木やその使い方に関しては、こんなに古くから豊かで深い知識に裏づけられた文化があった。
ただ奥津棄戸(おくつすたえ)の、本来の意は、死体遺棄による葬法を表しているものであり、一般民衆の死体が遺棄されていた事による(考古学上においても、古代日本において一般人は墓を築いた形跡はなく遺棄された状態である)
「吾妻鏡」弘長元年(1261年)2月29日条には、幕府が関東諸侯において「~死屍(しし)を路地に弃(す)つる事を禁制すべし」と定めている事からも、死体遺棄が中世前半の庶民にとっても一般的な行いであった事が分かる。
最近読んだ伊藤忠太「日本建築の発達と地震」によれば、古代「家に死者が出来れば、その家は汚(け)がれたものと考へ、屍(しかばね)を放棄して、別に新しい家を作ったのである。奥津棄戸といふ語は即ちこれである。」とある。
スクラップアンドビルドの思想は、中々根深いところにあるのかも知れない。
全国各地の景観計画・条令に関心があり出張に出掛けるたびに景観関係の資料を集めている。上は京都市で購入した「京都市景観計画」という冊子
京都市の都市デザイン課でもらった「建築物等のデザイン基準」(京都市サイトからPDFでダウンロードもできる)。京都市では大きく8地区の景観整備地区を設けている。山ろく型美観地区・山並み背景型美観地区・岸辺型美観地区・旧市街地型美観地区・歴史遺産型美観地区・沿道型美観地区・市街地型美観形成地区・沿道型美観形成地区であるが、歴史遺産型美観地区は、さらに11地区に細分化されている。
上は、市民向けのリーフレット
上は金沢市のまちづくり条例・景観関係の冊子。景観関係の条令を概括しているような冊子があれば欲しいという注文に、市の担当職員が探し出してきてくれた。
年に何度も顔を出していると、若い職員とは結構顔見知りになる。
ところで
空間デザインや建築形態を理解する上で、建築家・クライアントの意志は、決定的な要素だが、それらも建築を巡る社会システムに影響されてきた。
近世以降は法令が直接的な規制を与えてきている。例えば「梁間規制」は新築される建築の規模を一定限度に抑制するものだし、都市防災を目的とした屋根材等の指定法令は数々ある。
現代では、建築基準法とともに景観法・条令は、建築を巡る社会システムとして極めて重要な影響をあたえるものだと思う。
しばらく各地の景観条例を収集することは続く。
京都市役所で売っていたので購入。
帰りの新幹線で概略目を通してみたが、建築基準法の成立(昭和25年)以前にその多くが建てられた「京町屋」の実証的研究に基づいているので中々面白かった。
平成15年に「京町屋耐震調査」が行われ、約30軒の京町屋を対象に詳細な検討が行われた。「京町屋」は、伝統的な軸組構造だが、下記のような構造的には幾つかの既存不適格箇所が生じている。
ここで既存不適格は構造的欠陥ではない。あくまでも現行建築基準法の仕様規定を満足していないという事である。
社寺仏閣を始めとした伝統的軸組構造の新築・増築には、性能規定型の設計方法である「限界耐力計算」を用いるのは以前から知られていたが、この本は木造の限界耐力計算を詳しく解説し、耐震改修方法を説明している。
京都文化博物館・別館(旧日本銀行京都支店)
東側
建物は煉瓦造り
設計は辰野金吾とその弟子長野宇平治による。
1906年(明治39年)に竣工し、
1965年(昭和40年)まで日本銀行京都支店として使用された。
1969年(昭和44年)国の重要文化財に指定。
建築面積884.4m2(別館本体)・181.0m2(旧金庫棟)
別館内部は見る時間がなかつた。
格式あり
別館西側
この辺りは地下鉄烏丸御池駅から歩いた方が近い
ところで、この三条通りに面する一帯は、
商業地域・防火地域・容積率400%・建ぺい率80%
職住共存特別用途地域・三条通界わい景観整備地区(歴史遺産美観)
屋外広告物第三種地区に指定されている
これから西側の烏丸通りに面する新風館は以前見たことがあるので
烏丸通りから西側も今度ブラブラしてみようと思う。
それにしても京都の「田の字地区」は中々面白い
京都のお寺や神社もいいけど、
「田の字地区」は魅力がいっぱい詰まってる。
家邊徳時計店(登録有形文化財)
1890年(明治23年)に建てられた木骨レンガ造り2階建。
1階の三連アーチ。
二階は少し奥まっている。
全体に赤煉瓦が黒く変色していて、歴史を感じる佇まい
三条通から少し横道に
2009年にできた安藤忠雄建築研究所設計の「NIWAKA(俄)ビル」
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旧不動貯金銀行三条支店〔現SACRAビル〕
関根要太郎・日本建築株式会社の設計
1915年(大正4年)12月
煉瓦造り3階建て
正面のこの雰囲気は、大正初期に流行した
ウイーン・セセッションの影響を受け
直線幾何学的なデザイン
当時の銀行は、ずいぶんモダンな建物を作ったものだ。
京都市役所から寺町商店街を抜け、三条通りをブラブラしてみた。
そこにはガイドブックには、あまり載っていない、
大人の空間が展開されていた
レトロな建物と現代的な建物が織りなす景観
上質な店舗
にぎわいのある界隈があった。
1928ビル(旧京都大毎会館)は、
武田五一の設計により1928年(昭和3年)に建築された。
アール・デコ風の鉄筋コンクリ-ト造3階建で、
毎日新聞の社章に由来するバルコニーの形状や
玄関左右のランプカバ-の意匠に特徴がある。
1998年までは毎日新聞社京都支局として利用され、
現在はギャラリー・レストラン・多目的スペースとして活用されている
タリーズのカフェテラスの正面がこの外壁
住所:京都府京都市中京区三条通御幸町海老屋町、
同区三条通御幸町東入弁慶石町
役所調査の為に京都市役所を訪れました。
午前10時半に市役所の担当者のアポを取っていたので
朝6時に自宅を出て東海道新幹線で移動
京都市役所は、武田五一が意匠設計を監修した建物で、
東半分は1927年(昭和2年)に、
西半分は1931年(昭和6年)に完成しました。
東西に長くシンメトリーの外観、
縦に長いアーチ状の連続窓など、
横のラインと縦のラインを組合わせた変化に富んだ庁舎。
現役の市役所であり京都の顔でもあります。
中央に時計塔を持つ鉄筋コンクリート造り4階建て。
東側・ ホテルオークラ側
正面玄関
それにしても京都は暑かったですね。
午後には30度を超えていたようですが、
市役所職員によると、まだ序の口で
あと一か月もすると本格的な「京都の夏」を迎えるとか
1階正面ロビー
京都市役所本館 東半分1927(昭和2年)/西半分1931(昭和6)年
設計 : 武田五一、中野進一、京都市営繕課
施工 : 松村組・松井組・山虎組
京都府京都市中京区御池通河原町角
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