早朝から湘南新宿ラインに乗って墓参りに行ってきた
お寺横の竹林
帰りも湘南新宿ラインのグリーン車で崎陽軒の「春のかながわ味わい弁当」を食べる
帰り路に崎陽軒の弁当を食べるのは恒例となっている
お昼前に自宅に戻ることができた
午前中は晴れて良かった
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
早朝から湘南新宿ラインに乗って墓参りに行ってきた
お寺横の竹林
帰りも湘南新宿ラインのグリーン車で崎陽軒の「春のかながわ味わい弁当」を食べる
帰り路に崎陽軒の弁当を食べるのは恒例となっている
お昼前に自宅に戻ることができた
午前中は晴れて良かった
「今晩は、ゴールデンカムイ鍋だ」と妻が叫び買い物に
すぐ見てきたこと、聞いたことに感化される爺婆です。
残念ながら、リスやカワウソの肉は売っていませんでした。まあ当然と言えば当然ですが。
それで鶏肉と牛肉にしました。
鶏肉は「チプタプ チプタプ」しないで済む挽肉を肉団子に。味は「オソマ」ではなくキムチ調味料を投入。
「なんだ キムチ鍋じゃん」ということなかれ、我が家では「ゴールデンカムイ鍋」と命名されたのです。
最後にマルタイのラーメンを追加。
ヒンナヒンナと言って皆で食べました。
久しぶりに映画を観てきた。妻ちゃんと。
すでに漫画本やアニメでも見ていたが、平日の夜 映画館に
先月末からつい先日まで、怒涛のように難易度の高い事案の相談。見積提出が続き、頭の中がプニョプニョになりつつあつた。寝不足だし、長時間寝れないし、少し休息が必要かなと思っていた。
最近、孫娘達と話があう。
見ているものが一緒なのだ。この「ゴールデンカムイ」や「VIVANT」「ドラゴン桜-2」等。片方に合せるのではなく体験を共有していると会話が弾み楽しい。
さて実写版「ゴールデンカムイ」想像していたものよりはるかに良かった。北海道の冬の自然の中での撮影や動物たちもリアルで その迫力に引き込まれた。
冒頭部の二百三高地の戦闘シーンも、近年まれに見るリアルな撮影。
アシリパちゃんが可愛い。
この女優さん、奥深い素敵な眼をしている。
日本映画人のレベルの高さを世界に示す作品で、次回作に期待。
どうも場所打ち杭の太物鉄筋の納期がかかっているらしい。
鉄筋は在庫の状況などにもよるが、ロールで発注すれば1~1.5ヶ月位はかかる。というのが今までの常識。
既製コンクリート杭の場合も端部の金物などの材料が、ものにもよるが1ヶ月ぐらいはかかる。
また、鋼管巻きの杭の場合は、鋼管の納期が通常3ヶ月程度かかる。
エスカレーターは18ヶ月前。エレベーターは12ヶ月前。キューピクルは6ヶ月以上前。電気の幹線や低圧ケーブルも 買い占められれているのか どうにも理由がわからいないが入荷しない。入荷しても少量。
こんな日本に誰がした。
こんなこと今までなかったな。
建築工事には、相当な工事準備期間が必要だし、施工会社の選定時期、選定方法も考え直さないといけない。
こんな時代なのに、設計図が完成してから競争見積もりで施工会社を選定し、確認おりたら、すぐ着工してという寝ぼけた設計事務所もあるようだ。
NPO法人湿式仕上技術センターおよび日本建築仕上材工業会(NSK)の講演会「建築仕上塗材の基礎知識」に行ってきた。
会場は日比谷図書館B1F日比谷コンベンションセンター。千代田区立日比谷図書館分館にくるのは久しぶり。
建築用仕上塗材。この見慣れた仕上材 実のところ どのような性能があり、どのように製造されているのか、又どのように施工されているのか 正直深くは知らなかった。
講師はエスケー化研さんと日本ペイントさんの方。「仕上塗材の材料説明(役割、構成、製造方法など)」「仕上塗材の施工説明(塗装方法、塗装の条件、塗装時の問題点など)」
「既存建物の再生と活用」をテーマに、この10年程 大規模改修等に関わり始め、鉄筋コンクリート造の修復・補修技術。外壁仕上塗材の選定。古いタイル貼りのリフレッシュ工法。外部鉄骨部の塗装など 気になる事が沢山湧き出してくる。
建築病理学が確立していない日本では、補修技術ひとつとっても手探りの状態が続く。
この講演会の後、日比谷公園を徒歩で横断し有楽町へ、日本橋、神田、東京駅へと移動。今日も何だか慌ただしかったなぁ~。
もう過ぎてしまったが3月2日は結婚記念日
3月3日のお雛様に式場の予約が取れなくて前日になった
亡くなった妻の母が全部仕切ってくれた
写真は娘が結婚記念日にくれた花
外食をしたが、それだけでは済まないようだ
最近、密かにマイブームなのがスイカゲーム。
孫娘達が来たとき、スイカゲームで遊んでもらう為に特訓中。
スイカ1個はできるのだが、スコアが低迷中
土曜日に孫娘が来たがゲームでは遊んでもらえなかった。
彼女は彼女で色々と忙しいようだ
このゲーム、頭の中が空っぽで出来るし、反応速度が遅いので年寄り向き。
2024年2月のアクセスデーターは、visits一日平均6,997。pages一日平均24,655でした。
またvisits月202,920。pages月715,005でした。
2月は随分アクセス数が増えました。「人狼」ゲームで反応がありましたが、その他でも従来にないアクセス数となっています。
AI生成、チャットGPTのために、ビックデータ収集の各社のロボットが汗水たらして働いているからではないかとも言われています。
本当のところは知りませんが。
先日、調布市に行った折。集合時間の15分前に調布駅に着いたので、以前クライアントとお茶して美味しかった「スリランカ紅茶専門店 風舎」に立ち寄り紅茶を買ってきた。
調布駅北口の電通大通りの東側にある天神通りは道幅は狭いが、小さいが個性的で魅力的な店舗が幾つかある。その中の一軒がここで、昨年調布に来たときは「風舎」は休みだった。
「砂糖もミルクも入れないで飲んで美味しい紅茶を下さい」と聞き、お薦めでこの紅茶葉を買った。
深い香りで旨し。
アネックスとは付録、別館、離れといった意味だが、経営の分野では「分社」として使われる事がある。
この間「軍師たちの日本史」半藤一利×磯田道史対談を読んでて、この別会社・分社方式で思い出したことがあった。
イタリアのボローニャにティーバックと薬品の充填包装システム機械で世界一と言われているIMA社(Industria Macchine Automattiche)がある。
現在 IMA LIFE JAPANという会社が江東区にある。日本語名「イマ」社。その企業案内には、「イマ・ライフ・ジャパン株式会社は、世界的な包装/プロセス機器メーカーであるイタリアのIMA社の唯一の日本法人として、2008年に発足致しました。なおその前身は、英国の工業用ガスの会社であるBOCグループの一員であったエドワーズ株式会社の医薬品事業部であり、凍結乾燥装置を数十年に渡り取り扱ってまいりました。
IMA社は、様々な分野でその事業を展開しておりますが、医薬品関連事業部門(IMA Pharma)に属して無菌製剤製造装置を担当するIMA LIFE部門の下で、当社は主として日本の医薬品業界に向けて、各国の工場で製造された機器類の、販売/保守/各種技術支援等を行っております。」と書かれている。
この会社は1924年に設立されたACMAという包装機械のメーカーが母会社。ACMAはチョコレートの自動包装機を開発した会社。
ロマニョーリという若者が1961年にACMAから独立してIMAを設立した。
ここで大切なことは母会社の技術を持ち出すことは許されるが母会社と同じものを作ってはいけないそうだ。創業者は自動ティーバック包装システムを開発し、続いて自動薬品充填システムを完成させ世界市場を制覇したとある。
このティーバックの止める部分、初期はホツチキス止めだったものをIMA社が伊藤園のティーバック包装機械を受注したとき糸で縫う方式に改良し、それがまたティーバック包装機械の更なるヒットに繋がったと聞く。
この母会社ACMAから分社化した会社が50社以上あり、この包装機械のネットワークの部品を供給する300社以上が取り巻きボローニャに「パッケージバレー」を形成している。
かれこれ30年以上も前だが、イタリアのミラノ、コモ、モデナ、ボローニャ、ローマを旅行した事がある。その時、イタリアは職人の街だ。スリも泥棒も職人だからといわれた事を思い出した。ようするにテクニックが上手ということ。
若い時 養鶏場の設計にかかわったことがあり、プラントシステムの図面がイタリア語とかスペイン語とかあり、精密機械はヨーロッパが優秀と聞いた覚えがある。
イタリアには多くの車メーカーがある。フィアット(FIAT)/アルファロメオ (Alfa Romeo)/ランチア(Lancia)/マセラティ(MASERATI)/アバルト(ABARTH)/フェラーリ(Ferrari)/ランボルギーニ(Lamborghini、フォルクスワーゲングループ傘下)/パガーニ・アウトモビリ (Pagani Automobili)/マイクロ・VETT(MICRO-VETT)/ピアッジオ(Piaggio)
日本だけが技術が優秀という事ではない。
日本の企業は、経路依存性が強いから分社化というのは、ひとつの選択肢なのだろうと思う。
ずっとよくわからない事があった。八百万の神々がいる中で何故、伊勢神宮が天皇の氏神となったのか。
歴史を遡ること壬申の乱(672年)。天皇家内部の争いがあった。
関ヶ原のあたりで大友皇子軍と大海人皇子軍が衝突した。
戦いの中、突然疾風が大海人皇子軍の後ろから吹き、矢は長く勢いよく飛び、逆に大友皇子軍のほうの矢は風に押されて途中でバタバタ落ちてしまう。大友皇子軍は一気に押しまくられて負けた。
以来、大海人皇子軍を助けたその風は、伊勢の方から吹いた風であるというので「神風」と呼ばれるようになる。
そこで伊勢神宮が浮上する。
伊勢神宮が天皇家の氏神になるのは壬申の乱が契機。
大海人皇子はこのあと天武天皇となって皇位につく。美濃と伊勢の豪族を連れて勝利したこともあり、それから恐らく日本で始めて集権的な政府をつくっていく。
そしてワンオブゼム、八百万の神々のひとつでしかなかつた伊勢神宮が、天武・持統という夫婦の天皇の時代に氏神化されていった。
各地に元伊勢(もといせ)がある。現在の三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所で伝承地の真偽のほどについては不明であるが、20社から60社ぐらいある。
「伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神は皇祖神であり、第10代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられる。すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した天皇が皇女・豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、さらに理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したとされる」
元伊勢を巡ってみたいという衝動が・・・
日曜日、法事の為 上野公園の「伊豆栄 梅川亭」に出かけた
暖かい陽ざしでコートを脱いだ
4年前の2月29日に犬の散歩中に突然死した縁戚
同い年だった
酒飲みだったがアウトドア派で持病はないと言っていた
コロナパンデミックが日本中を席巻する始まりの頃
4年に一回しか日命日がないけど、忘れない命日
玄関ホールの飾りびな
2階の宴席から不忍の池、左は上野精養軒
宴席
「お~い。あなたのたった一人の孫娘。大きく育って お嬢ちゃんになって来たぞ」
東京事務所のベランダから眺めたブリリアタワー池袋・下層階は豊島区役所
トウタテのオベリスクか、はたまた池袋の墓標かと揶揄されている
今日は、東京事務所で執務
JR池袋までIKE BUSに乗った
乗車賃は200円
このバス、朝とか夜は運航していない。昼間もまばら運航
運行時間もまばら、乗客もまばら、役に立っているのだろうか。
三連休、孫娘二人が泊まりに来た
会話型心理ゲーム・人狼というカードゲームに参加させられた
ゲーム参加者6人皆家族だったので すぐ誰が人狼かわかりやすく
ゲーム上一晩で終わる事も多かった。
こりゃ他人も入れて 沢山の人数でやった方が楽しそうだと言う事になったが
それでも孫娘たちは、楽しいらしく何度もやろうという。
司会も交替性。ゲームをするとそれぞれの性格が良くわかる
昔は「爺ちゃん」と、まとわりついてきた孫娘も、今や小学生になり時々「じじい」。言い直して「じじりん」という反抗期。触ると「ギャー」と騒がれる。
珍しく美人女将(妻)に誘われて炬燵居酒屋
市販品のおでんと女将手作りのお握り1個
おでんと数の子明太子を肴に
田酒の熱燗・盃2杯
最近は、お腹が空いたら食事をするようにして、朝食と昼食はたっぷり食べて、夕食はかなり控えめか抜くことも多い。そのおかげで毎朝お腹が空き、体重も減ってきた。
私は北海道生まれなので炬燵に入る習慣がない。というか通常は女将さんが炬燵を占有している。仕事も大概一緒なので自宅にいるときは、互いのテリトリーは侵さない。
炬燵に入って美人女将の酌で日本酒飲むと、すぐにほろ酔い。
2024年1月のアクセスデーターは、visits一日平均3,437。pages一日平均15,546です。
visits月106,571。pages月481,952でした。
何だかアクセス数が増えている。それがどうしてかはわからない。SSL化が要因だと思っていたが、それだけでもなさそうだ。
建築士事務所のブログなのだが、建築の事だけ投稿するのではなく、見聞きした事をジャンルを問わず投稿しているからアクセス数が増えているのかも知れない。
X(ツイッター)やフェースブック等のSNSはやっていないし、当然連携もしていない。分散的にならないように、このブログに集中している。
このブログのおかげで年に一二度しか会わない知人でも私の近況を把握していてくれる。
一日の内で更新にかけれる時間は制約があるので、仕事の空いた時に書き為し予約投稿で、ほぼ毎日投稿しているようにしている。
文字数の制限のないX(ツイッター)のような感じであるが、このブログでは対話も討論も閉鎖中。
予約していた2024年(R6年)版の基本建築関係法令集が届いた。
頭の中を上書きする作業を始めなくちゃ
法令編と告示編の2分冊。
随分と長い間、この井上書院のブルー本にはお世話になっている
過去の法令集は捨てるのが忍び難く溜まっていく
今年は合わせて建築設備関係法令集を購入した
自分の中では、今年は設備関係知識のバージョンアップ・イヤー
設備設計一級建築士の更新講習を受ける年でもあり、
並行して、空調や電気のセミナーへ参加する予定
技術者は 怠けていると頑張っている人に追い抜かれてしまう
【NHK クローズアップ現代 2023.01.23より】
東京は、現在200以上の高層ビルが建設される大改造のまっただ中。都内繁華街に出かけると あちこちで超高層ビルが建てられている。
大きく新宿・渋谷エリア。日本橋・八重洲エリア。虎ノ門・麻布台エリア。品川・浜松町エリア。湾岸エリアがある。
こうした市街地再開発事業には、街場の設計者は ほとんど関わりがない。
むしろ街場の設計者が多くかかわるクライアントは、こうした市街地再開発事業・高層ビルの建設ラッシュの影響を受けている。周辺地域の既存低中高層オフィス・店舗は空室が増え、テナント収入の減少という問題を抱えている。また周辺部の既存商店の生業が成り立たなくなっており既存商店街も存立の危機に立っている。
さらにビル風、ビル熱といった温暖化のリスクもある。東京大改造の影響で内陸部の埼玉の気温が上昇しているというデーターもある。
東京は、今後どのような都市になっていくのか。東京大改造の舞台裏に迫ったのが2023年1月のNHKのクローズアップ現代だった。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4737/#p4737_01
それから1年。
2023年は神宮外苑の再開発が社会問題化し、麻布台ヒルズを始め完成した市街地再開発事業も多く、光と影が明確になってきている。
こうした市街地再開発事業には、都・国・地方の補助金が毎年1000億円ぐらい次ぎ込まれているという試算もある。業界内では、補助金という税金が注がれないと市街地再開発事業はできないとさえ言われている。
この問題は真剣に取り組まないと、もしかしたら「東京ディストピア」が将来待ち受けているかもしれないと思う今日この頃。
今年になってからの我家のマイブームは、日本酒の熱燗
昨年の年の暮れに神田須田町の「いせ源」で菊正宗の熱燗に出会い
「熱燗」の美味さを再認識
1月になって朝晩は寒い日が続く ということで
正月用の「田酒」を寒い処の酒だから
「熱燗」も美味いのではと妻とはなして試しに熱燗にしてみたら、
これがビンゴ。
徳利と盃を買い、ちびりちびり
尚、私は盃2杯程度しか飲めない。
蜻蛉(とんぼ)の暖簾を事務所にかけた。
古来より蜻蛉は攻撃性が高く勇敢という「勝ち虫」のイメージがあり、
その性質にあやかろうと縁起物として武士に好まれた。
特に戦国時代には兜や鎧、箙、鍔などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。
前田利家は兜の前立に蜻蛉を用いていた。
そんなことで、蜻蛉の暖簾が京都からやって来た。
「八田利也」というのは私の恩師である建築史家・伊藤ていじ と建築家・磯崎新、都市計画家・川上秀光が架空の人物を装って使用していたペンネームです。
『現代建築愚作論』(八田利也、彰国社、1961年)は、学生時代に大学の図書館で読みふけった記憶がありますが、自分では所有してなかった本です。2011年に復刻されたのでようやく蔵書にしましたが、しばらく書棚に並んだままだったものを最近読み直しました。
「建築家諸君! せっせと愚作をつくりたまえ。愚作こそ傑作の裏返しであり、あるいは傑作へのもっとも確かな道である。愚作を意識してこそ建築家は主体性を確保し、現代の悪条件に抵抗する賢明な手段となる」
この本に掲載された「近代愚作論」のなかの一節で、「近代愚作論」は当時の建築家へのエールとして書かれたものですが、現代でも生きている「檄(げき)」だと思います。
八田は歴史的に傑作とされる姫路城や法隆寺、また数々の近代建築家の名作を引き合いに出しつつ実はそれらの建築には致命的な欠陥が含まれていること、しかしだからこそ傑作になり得たと指摘しています。そして建築家に向けて、失敗を恐れず愚作をつくり続けることが、傑作への道なのだと説いています。
創意に満ちた挑戦がその時代においては愚作となる建築を生み出してしまったものの、後世から振り返ると傑作と呼べるものになり得ているのだと。
しかし現代では こうした高邁な思想に基づく「八田利也」ではなく、失敗を恐れるばかりの者や自信過剰の「ハツタリヤ」も散見されます。
設計者と建築主の訴訟に登場するのは、正真正銘の「ハツタリヤ」設計者です。学校教育の影響でしょうか、自信過剰の「表現建築家」が多いのは哀しい事です。
年初頭に2021年のNHK大河ドラマ・渋沢栄一を主人公とする「青天を衝け」をHuLuで一気見した。自分は、ほとんどテレビを見ないので今頃配信されたものを見るしかない。
今更2021年の大河ドラマの話題なのと言われるかもしれないが、一気見した方が全容を掴みやすいように思っている。もつとも数日で全部見るので少し疲れる。
2022年に仕事で何度か深谷市を訪れていた。深谷市ではどこへ行っても「渋沢栄一」の写真と名前を見ていたので、気になる存在だった。
渋沢栄一の時代は、幕末から昭和初期で、私からだと曽祖父母・直系3親等の時代になるかもしれない。私が生きてる顔を見た事があるのは、母方の祖母の晩年だけで、幼少の時に時々お小遣いを貰った記憶しか残っていないので、曽祖父母の時代なんて全く実感がわかない。
ネットで登場人物を検索しながらのドラマを見ていた。平岡円四郎、徳川昭武、高松凌雲、武田耕雲斎、橋本佐内、等々。 彼らは綺羅星のごとくあり、八百万の神とさえ思ってしまった。
ドラマを見て歴史、政治、経済のお勉強になった。学校では学べない統合的な知識を得ることができた。
さて、幕末から昭和の時代というのは、本当に激動の時代で、あの時代に自分が生きていたらどうしただろうかと考えてしまった。農民や町民、下級武士だったとしても尊王攘夷にかぶれて、テロリストみたいになって切られて早死にしたのではないかと思う。時代が動く変革の時代を生き抜くのは、とっても大変そうだ。
時代が動く時に生き残れるのは、専門知識・ひとりでやれる能力、技術を持っている人のようだ。幕末から明治にかけては、語学・医学・算術等の専門家や旧幕臣の海外渡航者が、官吏として重用されているのを見ると大いに参考となる。
『表題「青天を衝け」は、渋沢自身が内山峡(長野県佐久市)を旅した際に詠んだ漢詩の一節「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」(意:青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む)から取られた。』とウキペディアに書かれている。
元気を貰えたドラマだった。
これからも「青天を衝く」爺婆であろうと話していた。
初詣は毎年 旧巣鴨総鎮守・大塚天祖神社。
この神社の氏子だし
現在は、天祖神社総鎮座700年記念事業の一環として改修工事中
昨年、弊社も少し寄付をしたので境内に芳名が掲示されていた
末社も8社になりました
昨年の御札、お守り等を奉納してきましたが、今年は、雨空の初詣でした。
新年の食卓に添えられた日本酒
今年は、妻が誕生日プレゼントに貰った「獺祭・磨き三割九分」
我がファミリーは、女性陣は飲んべだが、男性陣は下戸が多い。
「あなたの血は、酒ではないか」と疑われている女性もいる。
と私の好きな「田酒・四割五分」
と言っても下戸な私は御猪口にちょっと舐めるだけ
今年も正月は、ほろ酔い気分。
であったが、そんな正月気分を一掃するような
能登半島地震
大きな地震の度に原発を心配しなくてはならない。
難儀な国や
「世界がいさかいの中にあっても、神の力で全ての人々はきょうだいになる」
ベートーベン「第九・歓喜の歌」
2024年 平和な年であるように