最近整理した特殊建築物を現地調査するときの弊社のスタイルと各自が持つ装備のイラスト。
特殊建築物では、木造住宅等の調査とはまた少し異なる条件が加わる。
まず第一に調査面積が広いし、階数も多い。通電してない、エレベーター使えない、換気悪い等の条件も加わる。
実は、イラストも弊社の裏メニュー。わかりやすいでしょ。
ということで、来週一週間は調査の旅に出かけてきます。
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
3.11の福島第一原子力発電所のメルトダウン以前は、既存建築物や都市における放射能汚染は西日本が高い数値を示していると言われていた。
その一つは、広島原爆によって発生した放射能に汚染された膨大なコンクリート瓦礫が、戦後の都市開発において再生骨材としてコンクリートに混入され西日本各地の建築物や土木構築物に使用されたからとされている。
しかしどのぐらいの量の瓦礫が再利用されたかは、詳しくわかっていない。
もう一つは、岡山県の人形峠で採掘されたウラン鉱採掘の際に発生した岩石や砂利と「ウラン煉瓦」によるものと言われている。ウラン煉瓦は約145万個製造され、約93万個が一般に売却され、各地の花壇や歩道の舗装材として使用されている。
この「ウラン煉瓦」は平均0.02msv/hと言われ、実際に計測した人の報告によると中には0.03msv/hを超えるものもあると報告されている。
今、福一の瓦礫の処理で再生利用をということが言われている。
これは東京電力㈱から発表されている「福島第一原子力発電所の固体廃棄物保管に関する中長期計画(案)について」(平成26年4月7日)で放射能汚染された金属くずは、溶融されリサイクル鋳造品として遮蔽体や貯蔵容器にリサイクルされることが検討されており、コンクリートくずはも再破砕され再生コンクリートに混入されたり路盤材としてリサイクルするということが検討されている。
また、日本建築学会でも2013年に材料施工委員会から「都市・建築・材料に関わる放射能汚染の現状とその対応に関する報告書」が出されているが、建築部材の線量測定手法や安全性の評価手法は、明確に定まったものはない。
さらに放射能汚染された木材の建築材料としての再利用も出てくるであろう。
建築物や都市空間のストック活用の評価基準のひとつとして、「放射能汚染度」も加わるのは、そんなに遠くはないように思う。
既存建物の調査は勿論、新築建物の建築現場でも、放射能対応マスクと作業着、そしてガイガーカウンターは必須になるかも知れない。
2015年のインバウンド(訪日外客数)が過去最高の1973万人を超えたという日本政府観光局(JNTO)の発表があった。
東京の街には外国人(アジア系)が溢れ、ホテル建設ラッシュが続いている。とりわけ品川周辺のホテル用地の価格が高騰しているらしい。さらに規制緩和で「民泊」が話題に上がっている。
JNTOの資料を見ると2015年の年計では、中国・韓国・台湾・香港の東アジアからが72%。東南アジア+インドからが11%で全体の83%がアジア系の観光客のようだ。
元々、池袋はリトルチャイナタウン(北池袋)があるぐらいだから中国人は多いのだが、それに加えて日本語学校が増えているらしく街を歩いていても聞いたこともない言語が飛び交っている。
昨年年末まで業務が押しており、年明けてそれらの修正・補足に追われていた。そうはいっても年賀状も年末に間に合わせて、毎年恒例のTAF通信(PDF)も発行できた。そして2016年の事業計画書を作成して社内協議をした。もっとも二人だけ・(笑)
近頃、ようやく時間があいてきたので色々なことを考える。
その中で考えたのが、これからの日本社会・経済の動向。
インバウンドが増えたのは2015年の円安、原油安=燃油サーチャージの値下げによる航空運賃の低下、ビザの大幅緩和等々に起因している。
さて、これからどうなっていくのだろうかと思うと2016年は円高になりそうだし、右肩あがりでインバウンドは増加していくだろうか。
今はやりの「民泊」という怪しいビジネスモデルに手を出して資金回収を図るころには、東アジアの観光客が大幅減ということにならないとも限らない。
消費税10%になると、また国内消費者の需要は低下するのだろう。一定の駆け込み需要の後は反動があるし、死んだ親父が東京オリンピック(私は小学生)の後の数年は不景気だったと言っていたのを思い出すと202×年まで・・・
そんなことを考えると暗澹とした気持ちになる。
以前買って読み半端な「下流老人」という本を読んだ時のような気分。
とある鉄筋コンクリートのビルの地下室スラブで見付けた 硫酸ナトリウムの結晶とおもわれるもの。
硫酸ナトリウムは、火山国の日本列島の土壌に基本的に含まれているもので、その結晶成長は全国どこでもある現象なのだが、住宅医協会によると既存木造住宅の調査をした時に住宅の基礎でたまに見られると言う。
私が特殊建築物・鉄筋コンクリートの建物で硫酸ナトリウムの結晶成長を見たのは始めてだった。
硫酸ナトリウムは、一定の温湿度条件になると結晶化し、コンクリートをボロボロにするものだが、この建物ではスラブ表面が荒れている他に顕著な傷みは見られなかった。
どういう条件で硫酸塩が発生したのかということだが、私は、地下水位-1.8mでしかも海に近いという土壌・立地により室内の環境が整い発生したのではないかと考えている。
現地調査の為 建物に入ったとき とても湿度が高いと感じていたが、湿度も関係するのだろうか。
シルバーウィークの前、三日間の北九州出張から夜中に帰ってきて、翌日朝からの埼玉県川口市の古民家調査に参加した。
疲れていたが関東では古民家調査の機会が少ないので少し無理して調査に参加した。
(一社)住宅医協会の主催で、参加者14名の調査。
築約175年というから江戸時代後期・天保年代の建物と思われる。
上の写真は土間部分の豪壮な梁組。
調査の担当は、矩形図の作成だったのだが、GLラインから天井までは自分で実測できるのだが、床下チームから基礎伏図、小屋裏チームから小屋伏図や高さ関係の野帳を見せてもらっての作図となる。
しかし この建物の小屋裏は中々複雑で、小屋梁と小屋束では芯ずれがあり調査・伏図の作成が難航していた。すべての作業が同時並行では矩形図の作成も中々まとまらず、夕方までにフリーハンドの矩形図が出来たのは梁間方向一断面だけだった。
日本の建築法制史を振り返る中で、近世民家のフィールドワークに参加して見聞きするのは欠かせない。というか文献読んでいるだけではわからないことが多い。
江戸時代には「三間梁規制」といって上屋の梁間は三間(約19.5尺)に制限されていた。寛永20年(1643年)「武家住宅法令」が定められ、明暦3年(1657年)に大名屋敷だけでなく町民屋敷へと規制は拡大されている。
しかし古民家を調べていくと実に色々な架構形式があり、三間梁規制を守りながらもあの手この手の工夫で架構方法を変えてながら大きな梁間の家を実現しようとしているのが見られて面白い。
約一か月後ぐらいには調査結果をまとめた検討会が開催されるらしいから、成果小屋伏図、架構図を見せてもらうのが楽しみだ。
現場でコンクリートの中性化試験をしなければならないので、1%フェノールフタレイン液とスプレー容器を買ってきた。
たまにしか使わないので100ml
通常コア採取した場合は、第三者の試験機関で圧縮試験とセットで依頼するのだが、今回は鉄筋の腐食状況と中性化だけ調べる必要があったので、自分で中性化試験をすることにした。
RC壁を斫って鉄筋を露出させ、かぶり厚さ等を計測した後に、コンクリート粉末等を完全に除去し、スプレーで1%フェノールフタレイン液を噴霧する。
PH8.2~PH10.0のアルカリ側で紅色に変色する。
表面から紅色に変色した部分までの距離を測定し、写真撮影。
今度の調査では、自分で中性化試験をしなけりゃならないところがあると知人に話したら「大田区の町工場の親父みたいだ」と言われた。
まことに光榮なことだ。
2013年に解体された最後の同潤会アパートの解体前の耐久性調査の報告書「同潤会上野下アパート材料調査報告」(2015年3月、日本建築学会・材料施工本委員会)を読んだ。
この同潤会上野下アパートは、竣工が1929年(昭和4年)である。
ここは建替事業でザ・パークハウス上野(三菱地所レジデンス)として生まれ変わるのだが、もう完成して入居開始が始まっただろうか。まあ 新しい建物にはあまり関心が無いので、この報告書についてだけ書いておこう。
今、戦前の鉄筋コンクリート建築物のコンバージョン・プロジェクトに参加しているので、どうしてもその頃の建築物や法令に触れることが多い。
この調査報告書では、コンクリート採取数が1号館で38本、2号館で31本 合計69本と4階建て延べ床面積2,093.99㎡(1号館556.80㎡、2号館1,537.19㎡)と約30㎡/1本となり採取コアが多い。現在の耐震診断の基準である3本/階から見ると約3倍の数となっている。
このコンクリートコアの圧縮強度試験は、柱・梁・壁・床と部位別と全体が示されていて全体で平均圧縮強度21N/m㎡という結果が報告されている。ただし床データを除外した場合には平均が19.5N/m㎡、標準偏差6.1N/m㎡となっている。
戦前の建物の構造部位別の調査報告というのが少ない。「同潤会アパートの施工技術に関する調査研究」(古賀一八他、2004年)で同潤会大塚女子(1930年)、同潤会青山(1927年)、同潤会江戸川(1934年)では、平均圧縮強度の部位別の内訳が不明なため強度や標準偏差の単純比較ができない。
今、関わっているプロジェクトでも数年前に耐震診断調査が終わって構造評定を取得している建物なのだが、コア採取が内部壁だけなので良くわからないことが多い。
ともあれ、学術調査でこれだけ念入りな調査を行い、調査報告書が世にでてくることは大変ありがたいことだ。
飛騨高山市内の伝統構法建築物を耐震改修する場合は、このマニュアルに沿ってという事で、高山市役所でもらってきた。高山市のサイトでもPDFで公開している。
労作である。長年にわたる調査研究に基づき限界耐力計算に近い計算方法である近似応答計算で耐震計算を行っている。
高山市から耐震診断・耐震改修費の補助金をもらう場合は、このマニュアルの講習修了者に耐震診断を頼まないとならないらしい。受講者は、ほとんど高山市内の人達。ちょつとクローズ気味の制度。
補助金を貰うかどうかわからないが、高山市内で伝統構法の耐震改修をする場合は、このマニュアルに沿って実施してみたいと読み始めた。
気がつけば、最近は構造関係の文書ばかり読んでいる。どうも関心事が広がりすぎて自分でも制御しきれない。
爺さん婆さんが二人で営む「拉麺専門店」を指向していたのだが、だんだん「食堂」になりつつある。
ともあれ、木造に関心がある人には読んでもらいたい一冊。
東京都豊島区は、竣工時に完了検査済み証を取得していなかった戸建て住宅を救済する「建物等の適正な維持管理を促進する条例」をH26年3月に制定した。所有者から申し出があった場合、工事着手時の建築関連法規に適合しているかを調査し適合していた場合は適合通知を発行する。検査済み証がないことから売却や賃貸が進まず、空き家化することを防ぐのが目的と当時報道がなされた。
この1年前に出来た条令について豊島区の新庁舎に出かけて建築指導課で資料を貰って来た。
(建築基準法令に関する調査)
第12条 区長は、建物等の所有者等が、建物等の現況を把握し今後の適正な維持管理に役立てるために、建築基準法(昭和25年法律第201号)第6条第1項第4号に掲げる建築物で、平成11年4月30日以前に同法第6条第4項に規定する建築確認済証が交付されており、同法第7条第1項の規定による完了検査の届出又は同条第5項に規定する検査済証の交付がなされていないもの(適正な維持管理が行われていない状態の建物等を除く。)について所有者からの申し出に応じて、現状の建築物が工事の着手時の建築基準法令の規定(同法第6条の3に相当する従前の規定にある建築物の建築に関する確認の特例に関わる建築基準法令の規定は除く。)に適合しているかを調査し、その結果を所有者に通知するものとする。
2 所有者は、前項の規定に基づく申し出を行うときは、規則に定める図書、書類等を添えて区長に申し出るものとする。
3 区長は、現状の建築物が工事の着手時の建築基準法令の規定に適合するかどうかの結果を通知することができない正当な理由があるときは、その理由を記載し所有者に通知しなければならない。
要点をまとめると
この条令の施行規則で定められている図書は、現況調査書/付近見取り図/配置図/各階平面図/床面積求積図/建築面積求積図/二面以上の立面図/地盤面積算定表/敷地面積求積図/採光計算書/室内仕上表/換気設備の仕様書/有効換気量計算書とあり、建築確認申請を新規に提出する場合とほぼ同様の設計図書が必要となる。建築確認申請書の副本が無い場合は、調査復元しないとならない。また現況調査書は、既存不適格建築物調書の場合の現況調査書とほぼ同じ調査をを行わないとならない。
これらの図書を添付し豊島区に調査を依頼して通知まで約2~3か月の期間が必要との事だった。実質的調査は豊島区から建築士事務所協会に依頼するらしい。また建築士に知り合いがいない場合は、専門家派遣制度があり初回のみ無料とのこと。
これだけの経費のかかる調査をし図書を作成し申請して適合通知が出たところで、この通知をもって「工事完了検査済証」に代わるものではなく「増築」等の確認申請には使えない。条令制定の際、国交省に相談して駄目と言われたらしい。
あくまでもこの条令の第12条に定める申請は、不動産の流通化の為であって増築等の確認申請の為のものではない。ということで条令ができて1年で第12条による申出は一件もないそうだ。
これだけの調査と図書を作成するなら建築基準法第12条第5項報告するのが賢明な方法だろう。それより問題は、建築主が増築申請の為に費用を捻出できるかどうかにある。
首相官邸を偵察したり襲うわけではありませんが、以前からアマゾンのほしいものリストに入れていたドローン・ファントム。
純粋に既存建物の調査=外壁の劣化調査に使えそうだなあと思い、調べてました。住宅だと屋根の現況調査なんかにも使えそうです。このファントムは17万円程度なので手の届きそうな金額かつ業務にも使えそうな機種です。勿論 もっと本格的な高性能のドローンもあります。
ラジコンヘリで遊んでいる知人にドローン・ファントムはどうよと聞いてみたら、操作のなれないうちは1台や2台は壊すので、3台分は予算を組む必要がある。
飛行時間が短いから予備バッテリーや予備羽根まで購入する必要がある。あと墜落して人や車に損害を与える事もあるから損害保険も加入した方が良い。と何だかんだと諸費用を合わせると個人事務所の設備投資としては結構な金額に。
投資対効果がわからず購入は躊躇してました。
でも、誰かどこかの会社では採用するのでしょうね建物調査にドローン。
ところで首相官邸のドローンの目的は何だと思うと聞いてみたら、「あんなの遊び」「その気だったら昔からラジコンに武器を装備して襲撃できる」とのこと。それもそうだ・・・
3月8日の旧高田邸の詳細調査に参加して、築85年(1930年頃)の木造住宅としては、中々構造体はしっかりしていたのではないだろうかという感想を持った。
外部立面の採寸と立面図の作図が主要な担当だったので、他の調査者を時々覗く程度だったし、早計なことは言えない。詳しくは全体の調査資料が調査参加者に後で配布されるようだから、その調査資料をみてから再度検討してみたい。
この構造体の部材寸法、施工方法などは、大工さんの個別の経験的な裏付けに基づく技量によるものだろうか。あるいは 何らかの現在の建築基準法・施行令に規定されるような社会的な規定(定義・構造規定)があったものだろうか。
よく知られている事だが、現在の建築基準法(昭和25年法律第201号)の前は、市街地建築物法(大正8年・1919年公布)があった。それは建築基準法が定められる前に存在した「市街地における建築を規定する法律」であった。当時、国立市は東京府下なので、直接的にはこの建築法令の適用外となる。
木造の法的な規定(案)は、市街地建築物法(大正8年・1919年公布)ができる以前の、明治27年(1894年)の東京市建築條例案(東京市区改正委員会・妻木案)や、大正2年(1913年)東京市建築條例案(建築學會)に見ることができる。
明治39年に東京市長・尾崎行雄が建築學會に建築條例の作成を依頼して、6年半の歳月をかけて大正2年(1913年)に238条からなる東京市建築條例案(建築學會)と途中案4編、諸外国条令資料16種を東京市に提出した。
それが先に書いた大正2年(1913年)東京市建築條例案(建築學會)である。
そこには大正・戦前昭和の文化住宅と建築法令(構造規定等)についてのみならず、現在の建築基準法につながる規定が網羅されている。
例えば木造の構造関係の規定は、下記のような事が記載されている。
これらの規定は、「木造耐震家屋構造要領」(明治28年)、「家屋耐震構造要便」(大正4年・佐野利器)と類似しているものが多いと言われているので、大正2年(1913年)東京市建築條例案(建築學會)に規定されている木造の構造規定は、ある程度、業界内に普及していたのではないだろうか。というのは私の推論。
国立市にある築85年の文化住宅・旧高田邸の詳細調査に参加してきた。既報のように国立市民等のプロジェクトに住宅医協会で協力する形で調査を行った。今日の調査には25人の参加とのこと。
無報酬の調査・ただし昼弁当、味噌汁、飲み物付き
玄関アプローチ
午前中は小雨、午後は雨は上がったが曇に覆われていた
私は、採寸グループで東側立面図の作図を担当した。大まかな実測、矩形図等の他の採寸者と情報を突合せ、フリーハンドで1/50立面図を作図した。
採寸してわかった事だが、2階軒高が現代の木造住宅より1m近く高い。2階の軒の出が3尺、1階屋根の軒の出が2尺5寸ほどだった。
全体としてライト風な水平線を強調するデザインになっている。
詳細は、住宅医協会のサイトで紹介されている。
築50年近い平屋の木造住宅の現況調査に参加した
外壁板張り、内部は漆喰の築50年近い部分と築40年ほど経過した増築部分とからなり、増築した部分あたりからの雨漏りが起きている住宅で、解体して建て直すと聞いた。
古い建物は下地が良くわからないことが多く、現在では当たり前のようにクロス下地は石膏ボードだが、塗り壁やらが混在しているとわかりづらい。
電気のスイッチプレートを外して下地の石膏ボートを確認しているのが上の写真。
土台には檜が使用されていて、現況調査の段階では土台、基礎は 意外にも健全なようだった。
この後内装材等を撤去した後の劣化調査をしてみないとわからないが、残念ながら劣化調査に参加できない
増築部分からと思われる雨漏りに悩まされなかったら、この建物は もう少し長生きさせてあげられたのではないかと、帰路の電車の中で思った。
壁、天井、床と断熱材が入っておらず、これではさすがに東京でも冬は寒かったはずだ。
床下は土で 温度12度、湿度39%だった。
築50年弱の木造2階建て住宅
外壁は、懐かしきラワン羽目板(t=12)にオイルペイント塗り
塗膜があちこちはがれかかっている
内壁を壊して、断熱材を取り除いた状態
ラワン羽目板はシミだらけだが 意外にも腐朽はあまり見られなかった
外壁のラワン羽目板の内側には、防水シートのようなものは貼っていなく、羽目板の下はグラスウールが貼られていたが、写真のようにシミで黒ずみ、黴臭かった。
床下は土のままなのだが、土台・基礎廻りの状態は健全で、一部柱材が蟻害にあっていただけだった。
この建物は解体され あらたな住宅が建てられるのだが、もう少し以前に、詳細な調査をして外壁・断熱関係をリニューアルしたら長寿命化できたのではないかという感想をもった。
勿論 設備関係の機器も年期がきているようには思ったが・・
調査も国土交通省のガイドラインに沿った程度のインスペクション。すなわち現在通常行われている調査で、このような建物の状況を把握できたかというと疑問があり、住宅医協会で行っているような詳細調査をしなければ、全体の状況を把握できなかったのではないかと思う。
松竹梅でたとえるなら、通常のインスペクションが「梅」で、住宅医協会の調査は「松」
築32年木造平屋建て住宅の床下
大引き、束は、見てのとおり 白蟻でボロボロ
この家は、床暖房をしているゾーンのみが白蟻被害にあっていた。
床暖房部分の床構成は、室内側からカーペット、電気床暖パネル、合板、根太、床下部分に断熱材としてグラスウールが施工されていた。
床下には、捨コンが施されていて床下温度が19度、湿度54%だった。思っていたよりドライ。
床暖をしていないゾーンの床下の状態
ざっくり見たところ腐朽箇所や白蟻被害は見当たらない。
床下に捨コンは一応しているようなのだが、端部は土が露わになっている。
この床暖をしていない和室の床下温度は21度、湿度60%だった。
床暖をしていない状態で温度も低く、湿度も低い床暖をしているゾーンが白蟻被害にあっている。
また北側の台所の床下は、もっと湿度が高かったのに床下に腐朽は見られなかった。
床暖房をつけた時に床下の温度が上昇しても、湿度はあまり高くならない状態が予想される。それが白蟻達の世界では ハワイのようなものだったのではないかと想像してみる。
今、国土交通省・国土技術政策総合研究所の中古住宅、ストック再生に向けた既存住宅等の性能評価技術開発プロジェクトの一環である既存木造住宅の劣化実態調査に参加している。
解体前の既存住宅の周辺環境や建物周囲の局地環境、建築各部のつくり(材料構法)及び表層に現れている変状等の目視調査(現況調査)を行い、解体中に壁体内等の隠蔽された構造躯体等の劣化状況の調査(劣化調査)を行うもので、断続的に調査の予定が入る。
写真は、築29年の木造2階建ての住宅で、スケルトンリフォーム(構造体以外は解体)を行う住宅の水回り基礎部の写真。
台所流し台の下部にあたる基礎の入隅部に蟻道があったが、土台の米栂防虫防腐処理土台でブロックされていた。右側下部の排水管後施工の隙間から侵入したものとみられるが、黒蟻もいたから彼らが白蟻を食べてしまったのかも知れない。
土台は、日立電線の米栂防虫防蟻処理土台で、床下が土のままで防湿対策はこれといって行っていなかったが腐朽部分はなかった。南側の木材の吸水率は15%程度で北側水回りの土台吸水率は28%程度あった。
劣化状態は概ね良好で、築30年前後でスケルトンリフォームをするのは、建物の長寿命化のために懸命だと思った。
学術調査的手法での調査参加は久しぶりというか学生時代以来。一兵卒としてフィールドワークに参加して汗をかくのは楽しい。
大和ハウス工業が開発した床下等の狭小空間点検ロボット・moogle(モーグル)
住宅の床下点検を主な用途として開発されたロボット。
暗所、閉所の作業は点検員の負担が大きい。空間が狭く作業効率が悪い。埃や粉塵がある場所での作業は、人体へ悪影響がある。
外部からは作業内容を確認できない。様々な障害物で確認できない箇所がある。最近は床下が少なく、もぐって点検できない。デブにはとっても無理。
ということで幾らするのと聞いたら、1年保証付で200万円。5年保証付で230万円とか。
リースもあるらしいが月5万円ぐらいにはなりそうで、高嶺の花
【写真は大和ハウス工業サイトから】
やっぱり 調査は汗をかかないといけないようだ。
http://www.daiwahouse.co.jp/robot/moogle/index.html
奈良県庁
丹下健三の香川県庁舎を踏襲したような、戦後モダニズムを彷彿させる建物
何となく懐かしいというか・・・。
今回は、建物の見学記録(後で建物の写真は掲載)ではなく、仕事の記事。
「遊んでばかりいるんじゃないの」と言われる事があるので
完了検査済証を取得していない建物について、奈良県庁建築課に御相談に行きました。
奈良県は「既存建築物の法適合性の確認の取扱い」というのを
平成25年6月に制定していたので、今回具体的プロジェクトについて打合せをしてきた次第
これから種々の調査・非破壊検査をすることになるが
法第12条5項報告の提出となりました。
添付する様式は、大阪府のものを参考にしたように思える
それにしても現行法上は12条5項で処理するのが最適と思うが
なかなか やってくれない行政が多いんだよね~
(愚痴)
【神戸市役所】
神戸市には「神戸市建築確認情報セルフ検索システム」という先進的なシステムがあり、建築計画概要書や建築確認台帳証明を短時間で発行してもらえる。
調査対象を地図上からの検索、情報一覧からの検索、適合通知番号からの検索を行い、建築物・昇降機・工作物の情報を得ることができる。
建築計画概要書の閲覧は昭和46年からで、台帳証明は昭和25年から閲覧できるが、データー化しているのは昭和32年以降。
神戸市建築調整課には、この検索システムのモニターが4台並んでいる。
神戸市のサイトには「周辺住民の協力のもとに違反建築物を未然に防止するとともに、併せて違反建築物の売買をも未然に防止しょうとするものとし、善意の買主を保護するために設けられた制度です。」とある。
営業目的や閲覧目的が不明な閲覧は規制すべきだと思うが、情報を公開することで抑止力が働くことは多い。
東京都(都市整備局)で台帳記載事項証明書を発行できる建築物等の各年度は下記のようになっている。
1 建築物
(1) 昭和25年度~昭和39年度 : 全て(ただし、木造住宅の一部は区で建築確認)
(2) 昭和40年度~昭和49年度 : 昇降機(エレベーター又はエスカレーター)の付属する建物
(3) 昭和50年度~平成11年度 : 延床面積5,000平方メートル超で昇降機の付属する建物
(4) 平成12年度~ : 延床面積10,000平方メートル超の建物
※ 昭和25年~昭和40年までは敷地・建築・延床の各面積の記載はありません。
※ 風致地区は規模に関係なく都確認(平成11年度まで)。
2 昇降機
昭和35年~ : 建築物の条件と同じ
3 総合設計許可
昭和58年度~ : 建築物の条件と同じ
4 一団地認定
昭和62年~ : 建築物の条件と同じ
【以下については台帳がないため証明書の発行ができません。】
建築物
昭和25年度~昭和28年度/ 港区
昭和33年度/ 中央区・渋谷区・杉並区
昭和36年度 /千代田区
昭和37年度 /全区
昭和43年度~昭和44年度/ 台東区
昇降機
昭和40年度~昭和45年度 / 中央区・新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区・豊島区・北区・荒川区・足立区・葛飾区・江戸川区
問題は、「赤字」で示す欠落している年度の建物の場合。所有者が変わって確認申請書副本を紛失している場合で役所に行っても台帳がなく、果たして建築確認申請が提出されていたのか、検査済み証を取得しているのか公的な書類が見つからない場合にぶつかると困ってしまう。
それでも建設年度を確定する方法は幾つかあるのだが、確認申請を取得しているかどうかは誰も証明することができない。
下記は、葛飾区の場合だが、台帳そのものが昭和57年(1982年)以前のものは保存されていない。もともと建築確認受付台帳の保存年限は10年だけど、例外的に需要があるから保存されているだけと説明される。他の区でも似たようなもので欠落している年度がある。
建築確認台帳は昭和58年度以降に受付をしたものが保存されています。それ以前は資料がありません。 台帳証明の発行を希望される方は住宅地図など住居表示で場所の分かるものや、登記関係の資料など物件を特定できるものをお持ちください。 また、台帳証明の発行には300円の手数料と15分程度の時間がかかりますので、遅くとも午後4時45分までには申し込みの手続を済ませてください。 なお、電話による該当物件の有無や内容に関するお問い合わせにはお答えできませんのでご了承ください
データーが無い、整備されていない状態でプログラムを作ったところで役には立たない。
「建築ストックの活用」という前に、無確認建築物、未検査建築物の実態を正確に掌握することが必要ではないのだろうか。