進々堂 京大北門前

京大本部構内を南北に歩いて「進々堂 京大北門前」へ行く

1930年創業、京大生の第2図書室ともいわれている

京都で現役最古の喫茶店

創業時に若干26歳だった木工家・黒田辰秋が依頼され製作した一枚板の大机と長椅子は、100年あまり経つ今でも健在だった。内部写真は撮影不可

「島津三国志」井川香四郎 著

3月初旬の九州出張前後に読んだ本

 西郷隆盛ら幕末の薩摩藩士たちが尊敬・崇拝していただけでなく、現在でも鹿児島の人たちに愛される戦国時代の猛将として名高い島津義弘。

 信長、秀吉、家康たちが台頭していくなか、鎌倉時代から続く島津家を存続させるだけでなく、九州平定を目指した島津義弘と兄弟たちを描く長篇歴史小説です。

 島津義弘を中心に、島津四兄弟のそれぞれの魅力が壮大なスケールで描かれています。

 薩摩が海から世界に向かって開かれていて、琉球、明など東アジア諸国とその先の南蛮へと繋がっていく世界観が新鮮。中央から見たら南の果てだが、世界と繋がる地だったということをあらためて知った。

 島津義弘は、自分が生かされ、後家か繁栄しているのは、先祖のお陰だと改めて感謝し、仏教に深く帰依した。そうして統治、教育、殖産興業という三本柱を立てて、家臣や領民を教化する目標を立てた。殖産興業には、琉球や明との交易も含まれている。そして外城制度を堅牢なものにした。祖父である日新斎や父である島津貴久が打ち立てたものだが、徳川幕藩体制なかで生き延びるために再構築されている。

 島津家に忠実な一族郎党と直臣だけで外城を固め、外城を衆中(しゅうじゅう)という半士半農というもの達が守る。その衆中を取りまとめるのが地頭である。この外城は110以上あったと書かれている。

 薩摩では古来より「門割制度」があり、島津義弘が強化したとある。小作がばらばらに農地を耕すことなく「門」とか、それより小さい単位の「屋敷」という組織単位で生産を高めていた。そして耕地を数年で入れ替えることで貧富の差を少なくして、収穫も安定させていた。過去に学んだ合理的な法治国家を目指していたように思える。

 その教育論「二才噺格式定目」(にせばなしかくしきじょうもく)も興味深い。江戸時代中期には「郷中」として組織的に確立していく。

 知らず知らずのうちに、中央史観で毒されてしまっていることに気を付けなければならないと思った。

 こういうを大河ドラマにすると面白いと思った。

鹿児島カテドラル ザビエル記念聖堂

設計は坂倉建築研究所

 この聖堂は、その名前が示すように、主として二つの目的で建てられたそうです。カトリック鹿児島司教区のカテドラル(司教座聖堂)であること、日本にキリストの福音を初めてもたらしたザビエル渡来の記念碑。

 高さ31メートルの鐘楼に吊るされた鐘は「ザビエルの鐘」と呼ばれているそうです。
正午、夕刻6時に鳴り響き、信者を「お告げの祈り」(アンジェラス)に誘うのだそうです。

 車で移動の途中だつたので、内部に入りませんでした。惜しいことをしたな、またゆっくり見てみたいと思っています。

 第一番目の聖堂は、1908年献堂で石造り聖堂だったとあります。1945年に空襲で焼失し、第二番目の聖堂は1949年献堂で木造。現在の聖堂は、1999年献堂でコンクリート聖堂ですが、築27年経過しています。打ち放しコンクリートの状態は良いように見えました。

ラーメン小金太@鹿児島

並んでいるかもと言われながらも行ってみた「ラーメン小金太」

客の入れ替えで、並ばずにカウンターに着席

チャーシュー麺・豚骨醤油味だけど、

スープはあっさりしていて麺が美味しい。

鹿児島で氷白熊の次に印象に残った食べ物

鹿児島を去る時に、駅ビルでお土産に買ってきた

小炒飯

こちらは、私が食べた 普通の鹿児島ラーメン

マルヤガーデンズ -2

【屋上】

改修設計者のみかんぐみのサイトには、「この建物を様々な人たちが集まる活気あふれる場所として再生するために、目的をもたずに訪れられる「ガーデン」と呼ばれるコミュニティのためのスペースを各階に設けた。」とある

改修設計者である、みかんぐみのサイトには「ストックとしての再生を試み、耐震改修と既存建物を最大限活かしながら、スケルトンに近い状態とした。また、避難安全検証法を用いて、階段を整理し、増築をせずに売場面積を増床させている。また、ESCO事業と組んで空調設備の更新を行なった。照明はほとんどをLEDとし、電力消費量を改修前の約1/2に減らした。」とある。

マルヤガーデンズ -1

鹿児島市内のテナント型商業施設・マルヤガーデンズ

壁面緑化とコーナー部のカーテンウォールは改修時に付加された

【エントランス部分】

 1961年に丸屋デパート開業。三越との業務提携を経て 三越鹿児島店として営業したのち、2009年(平成21年)5月、三越鹿児島店が閉店すると、丸屋が建物の大規模なリノベーションを施し、2010年(平成22年)4月28日にマルヤガーデンズがオープンした。

 2016年度にかけて大幅リニューアルされ、鹿児島初出店となるロフトなどが入居した。2020年(令和2年)秋には無印良品が再出店している。淳久堂書店、無印良品、ロフト等著名なチェーン店が入居しており、雑貨が中心の商業ビルとなっている。

岩崎美術館・工芸館 -3

工芸館

美術館側

美術館と工芸館との連結部分・工芸館側

内部は基本撮影禁止

 岩崎美術館・工芸館は、とても収蔵作品が豊かだ。19世紀末以降のフランス絵画や現代の外国作家の絵画、並びに郷土や日本作家の油彩画や日本画、それに墨書等を収集・ 展示している。黒田清輝、藤島武二の作品は貴重。桜島をモチーフにした絵画のコーナーもある。

 美術館と工芸館の2つの建物は地下通路でつながっており地上では2棟別々の建物に見える。外観は明瞭な幾何学な形態で水平垂直の力強いラインと、繊細な鉄骨フレームが対比する。

 修繕が行われ新築時の雰囲気が復活した。コンクリートの打ち放しに白の塗装を施した外壁は時の経過を感じさせながらも、強い太陽の光、青い空や海、深い植物の緑にくっきりと浮かび上がる。

 建物全体のレイアウトはなだらかな丘になった地形を活かすことによって、海側の工芸館を少し低いレベルに抑え存在感を和らげている。

 美術館内部も緩やかな地形がそのまま活かされたスキップフロアで空間がつながり、その中にマッキントッシュやコルビジェの椅子が置かれている。

 自然の地形あって成しえる空間構成であり、設計着手時に現場を訪れた槙文彦氏は九州電力の高所作業車に乗り込み、上空から辺りを見渡し美術館の配置を決めたとの事だった。

 自然の光が差し込むホール、壁に組み込まれた暖炉、まぶしい光があふれるテラスなどがそのまま展示空間となり、地中海のヴィラをイメージしたとの槙氏が語る通り有機的空間となっている。

 工芸館においては海の見えるラウンジ、テラスとつながる談話空間があり、大自然を感じながら芸術と触れることが出来る。

 とても手入れが行き届いた美術館で、建築と収蔵品の質、維持管理の徹底とバランスの取れた秀でた建築だと思った。

 南のはてにある建築物だが、多くの槇ファンが訪れるそうだ。私もその一人で、半世紀かかって来ることができ、とても満ち足りている。

岩崎美術館・工芸館 -2

手前が工芸館で、後ろに見えるのが美術館

背後の建物はホテルで閉館している

工芸館のエントランスだが、

現在は美術館の地階から地下道で工芸館に行く

木製小幅板型枠による、コンクリート打ち放しの表情が柔らかい

打放合板や鋼製型枠によるプレーンなコンクリートの表情との違い

岩崎美術館・工芸館 -1

鹿児島市から足を伸ばし指宿の岩崎美術館・工芸館を見てきました

1975年に財団法人岩崎美術館が設立され、事業家岩崎與八郎氏所蔵の美術品71点が寄贈された。その後も多くの美術品の収集が行われ、1977年3月槙総合計画事務所(代表 槙文彦)に設計監理を依頼し、1979 年3月に岩崎美術館は竣工した。

また、1983年1月に管理棟別館を増築し、同年4月27日に岩崎美術館は開館した。

その後、1987年3月に岩崎美術館の創設者岩崎與八郎氏の芳江夫人の遺志により工芸品、民芸品を展示する岩崎芳江工芸館を増築した。

3期に渡る工事の設計監理は槙総合計画事務所(代表 槙文彦)で、構造設計は美術館が木村俊彦構造設計事務所、工芸館は花輪紀昭建築構造設計事務所、施工はいずれも株式会社間組である。

鹿児島・鹿児島中央駅

名古屋から博多を経由して鹿児島に入りました

博多から九州新幹線で鹿児島中央駅に

大屋根の広場があります

鹿児島は暖かく、気温は20度を超えていたのではないでしょうか

もう春です

着てきたコートを自宅に送って身軽になりました。

 駅の上になんで観覧車と、最初は思っていたが、色々な場所から、この観覧車が見えランドマークになっていて駅と自分の場所との位置関係が分かりやすかった