「島津三国志」井川香四郎 著

3月初旬の九州出張前後に読んだ本

 西郷隆盛ら幕末の薩摩藩士たちが尊敬・崇拝していただけでなく、現在でも鹿児島の人たちに愛される戦国時代の猛将として名高い島津義弘。

 信長、秀吉、家康たちが台頭していくなか、鎌倉時代から続く島津家を存続させるだけでなく、九州平定を目指した島津義弘と兄弟たちを描く長篇歴史小説です。

 島津義弘を中心に、島津四兄弟のそれぞれの魅力が壮大なスケールで描かれています。

 薩摩が海から世界に向かって開かれていて、琉球、明など東アジア諸国とその先の南蛮へと繋がっていく世界観が新鮮。中央から見たら南の果てだが、世界と繋がる地だったということをあらためて知った。

 島津義弘は、自分が生かされ、後家か繁栄しているのは、先祖のお陰だと改めて感謝し、仏教に深く帰依した。そうして統治、教育、殖産興業という三本柱を立てて、家臣や領民を教化する目標を立てた。殖産興業には、琉球や明との交易も含まれている。そして外城制度を堅牢なものにした。祖父である日新斎や父である島津貴久が打ち立てたものだが、徳川幕藩体制なかで生き延びるために再構築されている。

 島津家に忠実な一族郎党と直臣だけで外城を固め、外城を衆中(しゅうじゅう)という半士半農というもの達が守る。その衆中を取りまとめるのが地頭である。この外城は110以上あったと書かれている。

 薩摩では古来より「門割制度」があり、島津義弘が強化したとある。小作がばらばらに農地を耕すことなく「門」とか、それより小さい単位の「屋敷」という組織単位で生産を高めていた。そして耕地を数年で入れ替えることで貧富の差を少なくして、収穫も安定させていた。過去に学んだ合理的な法治国家を目指していたように思える。

 その教育論「二才噺格式定目」(にせばなしかくしきじょうもく)も興味深い。江戸時代中期には「郷中」として組織的に確立していく。

 知らず知らずのうちに、中央史観で毒されてしまっていることに気を付けなければならないと思った。

 こういうを大河ドラマにすると面白いと思った。