「本のある空間採集」政木哲也著

 この本は、個人書店・私設図書館・ブックカフエなど、国内の様々な「本のある空間」を訪れ、その空間を「実測」し、立体的な図に起こし1冊にまとめた本。

 かってあつた小さな地域密着型書店は次々と閉店してしまう時代に、新しい形で人と本の出合う拠点をつくり運営している個人書店・私設図書館・ブックカフェがある。それらに身を置くことでどんな空間体験がもたらされのか、著者の探求の旅の成果。

 この10年もっぱらアマゾンで本を購入することが多い者としては、この本で取り上げている「本のある空間」には、大変魅力を感じる。

 最近、見せてもらった仕事関係者の自邸(写真)は、壁面全体が書籍棚で その広い空間の中にベッドが置いてあり、人を羨ましいと思う事はあまりないが、この時はとても羨ましく思った。

 本屋さんになりたいと思ったことはないが、「本に囲まれた空間」は希求してきた。しかし、残された本の行き末を考えると暗澹たる気持ちになる事もある。

 

「変容する聖地 伊勢」ジョン・ブリーン編

 天照大神が祀られている内宮と豊受大神が祀られている外宮に代表される伊勢神宮は、古代から変わることなく受け継がれてきた聖域として語られることが多いが、不変的に聖地として崇(あが)められてきたわけではなかった。

 本書では、「聖地の変容」をキーワードに、伊勢神宮の歴史について、国内外の一線級の研究者16人がまとめた論考を、国際日本文化研究センターのジョン・ブリ-ン教授(現在は名誉教授)が集約している。2016年に初版が発行された本。

 現在の伊勢神宮では、「日本書記」の記載を字義通りに解釈して、神宮は崇神天皇の時代に創建が始まり、垂仁天皇の時代・紀元前4年に完成したとする。

 しかし考古学では天武天皇の時代に創立が位置づけられる。天武・持統天皇は「権力とは儀礼と宗教の是認がなければ正当性を欠くものだと理解し、みずからの起源を太陽神にもとめ、その神に関わる儀礼や神話を創出」されている。8世紀から9世紀にかけては、仏教を包摂し神宮寺も存在した。内宮・外宮そしてその上に大神宮司があり、結構複雑な権力関係が見え隠れする。内宮と外宮は古代から近世を経て明治維新前まで敵対関係にあり、何度も訴訟を起こし、ときには武力で戦う事もあったという。

 中世・鎌倉初期か室町末の時代。神官の神職たちは老いてから出家し伊勢の神々の為に法楽を行い、領地を寺院に寄進する敬虔な仏教徒たらんとする人もあり複雑な関係性が見られるとある。

 そもそも神宮とその祭神である天照大神は、古代より皇室と朝廷のみを守護する皇祖神であり、神宮の維持・管理や遷宮を含めた祭祀は朝廷の財源や力によって行われてきた。もともとは私弊禁断といい庶民の参拝や奉幣を受け入れるものではなかった。しかし中世になると庶民の参宮もみられるようになり、室町殿の参拝や僧尼の参拝や法楽も行われるようになったとある。そして江戸期には庶民参宮も一般的となった。

 中世に120~130年途絶えていた式年造営(内外宮で若干の差)を復活させたのは豊臣秀吉。皇祖神アマテラスを頂点とする神々の住居として唯一神明造の社殿があり、神々の日常を支えるものとして大量の神宝類がある。それらを定期的に更新することで、皇統譜の正統性や反復性が再認識される。その過程が正遷宮だとすると、120年以上正遷宮は必要とされなかったのか。それは朝廷に権力と財力がなかった時代とみるべきで、広義には国家的・社会的に必要とされなかったと考えるべきなのかもしれない。

 天正12年の小牧・長久手の戦いで徳川家康を軍事的に圧倒できなかった秀吉は、天正13年7月に関白となり、朝廷の権威を抱き込みながら覇権を及ぼす方途を選んだ。

 近世社会では、おびただしい数の人々が伊勢神宮に押し寄せたという「おかげ参り」があり、庶民の娯楽として享受された。

 外宮と内宮の間の地に、古市と言われている場所がある。江戸時代ここでは浄瑠璃芝居が演じられ、遊所があり、全盛期の1782年(天明2年)には、人家342軒、妓楼70軒、寺3ヶ所、大芝居2場、遊女約1000人の町だったと「伊勢古市参宮街道資料館」の略年表に書かれている。ところが明治、大正時代に廃れ、1945年の空襲によつて町並みの多くは焼失したとある。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には、弥次さん喜多さんが、古市でドンチャン騒ぎをしたことが描かれている。

 しかし、明治政府が伊勢神宮を聖性の源としたことで、前近代の庶民のなじみのお伊勢さんとはまるで違うものになったとジョン・ブリーン氏は書く。

 このように歴史を振り返ると聖地・伊勢神宮は、各時代の政治的、経済的、社会的状況からの影響を常に受けている。

 神は人々に平等である。政治的に利用したり、初穂料によって御神楽の種類を変えるという格差を作るのは人間の側の操作であり神様に責任があるわけではない。

 丸山真男が神道と古代神話を日本文化やその歴史的言説を貫く「パッソ・オスティナート」つまり文化の「古層」と呼んだことを想起させる。

 時の権力によって様々に利用されようとも、伊勢は私にとって聖地であることに変わりない。

事務所の風景

コロナ禍ということもあり、長く調査用の器材等を置くだけの倉庫のような状態だった事務所に家具等をいれ、打合せや小会議が出来るようにした。10月末に片づけ、先週始めてお客様を迎えた。

壁絵は、ウィーン分離派のオットー・ワグナーのドローイングで統一した。30数年前ウィーンで購入したドローイング集の原画をカラーコピーして額に入れただけだが。

狭いが、神棚もあるしユニットバスやキツチンや小さな冷蔵庫もある。若いころからの慣習で寝袋も完備している。学生時代からではあるが、事務所で寝泊まりするのが好きなまま爺になってしまった。

テレビもラジオも固定電話もないが、Wi-Fiを設置したのでインターネットはできる。

常備しているノートパソコンは、バッテリーを交換しないとならなくなった古いPC。未だにマウス派。

最近は、週1、2回のペースで ここで打合せをしたり、立ち寄って植木に水をやり、神様の水を替え、空気を入替て、簡単な業務もしている。本は、出版社から頂いた建築基準法の法令集1冊のみ。

首都高速の騒音がうるさいが、駅から近く便利。

伊勢神宮 おはらい町・おかげ横丁

おはらい町・おかげ横丁を歩く

平日の夕方近くだというのに参拝帰りの人達で溢れていた

おかげ横丁の人気店・ふくすけで伊勢うどんを食べる

この日、天気は良かったが風が冷たく、

外宮・内宮と歩き、身体が冷え切っていた。

そんな時に食べた伊勢うどんは、最高に美味しかった。

現在の伊勢うどんが誕生したのは江戸時代末期で、お伊勢参りの参拝客にも伊勢うどんが好評だったという記録が残る。旅の疲れを癒す暖かくて胃に優しいうどん。
かつて日本の三大遊郭といわれた古市(外宮と内宮の間に位置した)にあった「豆腐六(どぶろく)」といううどん屋が特に有名で、中里介山が書いた長編小説「大菩薩峠」の中にもこの店が登場している。そこには「豆腐六のうどんは、雪のように白くて玉のように太い、それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。『このうどんを生きてるうちに食わなけらば、死んで閻魔に叱られる』と土地の人に言い囃されている名物」とある。「ふくすけ」は、そんな「豆腐六」のイメージを再現した店舗だとか。

伊勢醤油本舗でおかげ横丁の新名物と言われている

「伊勢焼きうどん」をお土産に買う

自宅に帰ってから作ってみたが、3分ほど茹で、フライパンにタレを入れ温め茹であがった麺をからめて出来上がり。仕上げに刻んだ葱や紅ショウガを載せてもよし。シンプルなんだけど、これが美味しい。「伊勢うどん」に加えて「伊勢焼きうどん」もファンになった。

赤福本店

今回は赤福は食べなかったし、お土産にもしなかった。

東京でも買えるし。

代わりに買ったのが「太閤出世餅」

中世の時代、百数十年途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮の復興をなした太閤秀吉が好んだという伊勢の焼餅を「太閤餅・出世餅」と呼ぶようになったとか。保存料が入っていないとかで、甘みも抑えられていて美味しい餅だった。

また来ます。

「ふらりと歩き ゆるりと食べる京都」柏井壽著

「鴨川食堂」の著者である歯科医で小説家の柏井壽さんの「京都・食べ散歩」の本。観光客の喧騒とは無縁の、歩いて楽しい京都の路地「七つの道」と、地元の人の舌を堪能させる名店が紹介されている。紹介されている「七つの道」は下記。

第一の道 蓮台野を歩く/第ニの道 千本通を北から南へ/第三の道 雨宝院から出水の七不思議へ/第四の道 京都御苑と、その周りを歩く/第五の道 四条通を歩く/第六の道 紅萌ゆる丘から、真の極楽を辿り、熊野の社へ/第七の道 豊国神社から西本願寺まで

京都には、その昔「鳥辺野(とりべの)」「化野(あだしの)」「蓮台野(れんだいや)」という3箇所の風葬地があった。風葬地というのは、亡くなった方々の遺体が捨てられて野ざらしにされていた所。

都市内の北にある大徳寺の近くが蓮台野といい。その船岡山周辺を「紫野(むらさきの)」と言うのだが、この辺りを以前から歩いてみたいと思っていた。「紫野」と聞くと美しい、あるいは高貴なイメージが浮かぶのだが、実は結構おどろおどろしい名称だったりする。

蓮台野に遺体を運ぶ際に、千本通という道を通って運んだそうで、平安時代の千本通は死体を運ぶ道。葬送の地への道であった千本通には卒塔婆(そとば)が千本立てられていたので千本通と言われるようになったとか。遺体を運ぶ際に血が流れ、周囲が遺体の血の色で染まっていたので「紫野」という地名になったという説がある。

平清盛が平家一門の拠点とした六波羅の地。鴨川よりも西側がこの世、鴨川よりも東側があの世とされていた。鴨川は三途の川に見立てられ、それより東があの世と見立てられていたとか。今の六波羅密寺、六道珍皇寺がある。

道の端々にある小さな寺院。お堂にも京都の長い歴史が刻まれている。

歴史好きには たまらない大人の散歩道と食事処が紹介されていて、私より歴史オタクの娘に、「この本面白かったよ」と見せたら持っていかれてしまった。

働き方改革~仕事と遊びはメビウスの輪

宗教学者・哲学者の山折哲夫先生は御年87歳。

その山折先生は、夜は9時頃に寝て夜中に一度起きて湧き上がる突飛な「妄想」と戯れた後に原稿を執筆し、朝食後に朝寝、昼食後に昼寝という「妄想三昧、執筆三昧、昼寝三昧」の生活を送っていると聞いた。

自分も この10年ぐらい夜は9時頃寝て、深夜に起き出し、本を読んだり、ネットサーフィンをしたり、YouTubeやネットフリックスを見たあと仕事をする。そして朝方には一日のディスクワークは終わらせるようにしている。外出する予定がない時は、朝食後に朝寝、昼食後に昼寝という生活になっている。最近はお腹が空いたら食べる事にして一日二食。

まだまだ日中の外出が多いのが難点で、疲れるので毎日は外出しないようにしているのだが、それも段々と減らしたい。しかし外出しないと運動もしない方なので悩ましい。

年寄りは年寄なりの働き方改革をしないとならないが、自分にとって仕事と遊びはメビウスの輪みたいなもので、今後とも変わることはないだろう。

そういう今も午前2時。

来週13日~15日は中部地方に出張。16日は別件で都内でクライアントと打合わせ。それらの準備に追われている。と言いながら古代史の本を読んで逃避中。

「LB 244+1」李鳳宇著

「LB」李鳳宇(リ・ボンウ LEE BONG WOO)さんが配給とプロデュースを手掛けた映画は「244」本あり、「+1」として、2023年「パラサイト 半地下の家族」の世界初舞台化を手掛けている。この「244+1」の全作品について自ら書きおろし振り返った、回想録のようであり、まるで日記のような本。

「シュリ」の大ヒットにより、日本映画界におけるアジア映画の市場を築いた人であり、「JSA」でパク・チャヌクを、「殺人の追憶」でポン・ジュノを日本に紹介し、いまや韓国のトップ俳優になったソン・ガンホの作品を8本も配給している。今日の韓国映画・ドラマのムーブメントの礎をつくったのが李鳳宇さんだった。私が韓国映画を沢山見るようになったのも、これらの映画がきっかけだったので、この本を一気に読んだ。

李さんは、イギリスのケン・ローチ、マイケル・ウィンターボトム、デンマークのスサンネ・ビア、アメリカのトッド・ソロンズ、ドイツのミヒャエル・ハネケと世界中の巨匠たちの初期からの作品を配給してきたことがわかる。これだけの配給を行いながら日本映画の製作も行ってきた。「月はどっちに出ている」「フラガール」「パッチギ!」などの多くの名作を生みだす。さらに是枝裕和、岩井俊二、中島哲也、西川美和らの初期作品にもかかわってきた。李さんの30年を振り返るとつくづくすごい人だと思う。

映画は圧倒的にマンパワーが必要で、意思を同じくする人が集まって、映画を成功させることが大事だと書かれていた。そういえば映画の撮影現場は、例えば「黒澤組」とか呼ばれ、監督の周りに人が集まってくる。建築も大規模のプロジェクトになるとマンパワーが必要で、制作スタイルは似ていると思った。

この本で、見ていない映画がいっぱいあることを知った。この本をガイドにしばらく映画の世界に浸れそうだ。

帝国ホテル・本館

帝国ホテル・本館ロビー

ランデブーラウンジで打合せ

バブルの頃、このラウンジで打合せをするのが好きなクライアントがいた。一杯の珈琲の価格は高いけど、お替りができるので長い時間ここに座り次々と打合わせをこなしていた。あの頃は、全身黒づくめの服を着た人たちが目立っていたという事を思い出した。

ライト館開業100周年記念企画「The Wright IMPERIAL; A Century and Beyond」を覗いてきた。

ライト館の平面図

ライト館の模型

久しぶりに帝国ホテルに来た。

東京駅・有楽町と近くに来ているのに

タワー館は2024年より建て替えの為解体開始し、本館の解体は2030年との事

上布田宿

布田五宿には、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の5つの宿場がありました。
5つまとめて「布田宿」と呼ばれていて、そのうち、中心地だったのがこの上布田宿です。

この看板は、旧甲州街道沿いに立てられていて新選組の近藤勇が病にかかって生家に帰った時、上布田宿に来ていた伊東玄朴という蘭方医に診察を受けて全快したという案内板です。

今日は、調布市で新しいお客さんになるかもしれない人と打合わせ。

9月に完了した建物の近くなので、以前の現場にも寄ってみました。

残っていた外構のタイルが貼り終わっていました。

テナントさんの内装工事・下地まで終わりつつあるようです。

屋根上にシロッコファンを設置するので、そのダクト敷設のための足場が組み立ててありました。

以前行ったセイロン紅茶店が定休日だったので、近くの今川焼店で今川焼を一つ買いベンチに座って食べた。

この街には、縁があるのかなぁ~。食べながら通りを見渡して、そんなことを思った。

この後、調布市役所で台帳記載事項証明を取得。やっぱり検査済証無かった。しかも新築時の検査済みないのに、増築確認をおろし、その増築も検査済みがない。ここまでくると建築行政の怠慢としか思えない。

【覚書】地区計画

東京都内で一定規模の建築物を計画する場合、地区計画の理解が必要となる。地区計画は、都市計画法12条の5に規定されている。

【特例的な活用】

  • 誘導容積型 都計法12条の6
  • 容積適正配分型 都計法12条の7
  • 高度利用型 都計法12条の8
  • 用途別容積型 都計法12条の9
  • 街並み誘導型 都計法12条の10
  • 立体道路制限 都計法12条の11

その他に「再開発促進区を定める地区計画 都計法12条の5」/「開発整備促進区を定める地区計画 都計法12条の5」がある。

【その他の地区計画】

  • 沿道地区計画(沿道法)/沿道再開発等促進区を定める地区計画
  • 防災街区整備地区計画(密集法)
  • 歴史的風致維持向上地区計画(歴まち法)
  • 集落地区計画(集落地域

東京都中央区では区内の約8割の区域に16の地区で地区計画を定めている。日本橋・東京駅前地区や銀座地区の一部では「機能更新型高度利用地区」を地区計画とあわせて導入している。

1.日本橋・東京駅前地区(地区計画+高度利用地区)
2.銀座地区(地区計画+高度利用地区)
3.第2ゾーン(地区計画)※6地区の総称
4.月島地区(地区計画)※8地区の総称

東京都千代田区では43地区で地区計画が導入されている(千代田区ホームページ、令和5年10月時点)。千代田区の地区計画は、「一般型地区計画」、「千代田区型地区計画」、「再開発等促進区を定める地区計画」の3種類に分かれている

「千代田区型地区計画」:容積を緩和し住宅の立地誘導を目的とする「用途別容積型」と、良好な市街地環境の形成を図ることを目的とする「街並み誘導型」の二つの方式をあわせたものである。

夜の神楽坂

久しぶりに夜の神楽坂を散策

住宅街の路地の奥に飲食店があったりします

飲食店と住宅が混然一体となっていて東京の街では一番好きかな

できる事ならこのあたりに住みたかった。

地盤がよく、人気があるので地価も高いけど

ぷらぷらしていたら、いつのまにか見番横丁に辿りつきました

涼しくなったので、始めての店を梯子するのも楽しいです

小さな焼鳥店が意外と多い事に気づきました。

RC耐震診断資格者・耐震改修技術者講習を修了しました

国土交通大臣登録 耐震診断資格者講習・耐震改修技術者講習の講習修了証明書が本日一般社団法人日本建築防災協会から届きました。

今回講習が終了したのは鉄筋コンクリート造の部門です。

耐震診断には、かれこれ30年ほど前から関わっていますが、2017年改正の内容に、自分の頭を書き換える必要があり、今回受講しました。

WEB講習でしたが、顔認証システムが導入されていたので、少し静止していると「顔写真」と判断するのか動画が停止し、うつ向いていると「真面目に聴講してない」と判断するのか動画が停止するというシステムなので、意外と真面目に聴講しました。

単独で耐震診断業務をする事は無いと思いますが、教養として資格を取得しました。

鉄骨造や鉄骨鉄筋コンクリート造を取得するかは未定

「建築物省エネ法に基づく建築物の販売・賃貸時の省エネ性能表示制度」ガイドライン発表

2022年6月に建築物のエネルギー消費性能の向上に関する法律が改正され、建築物の販売・賃貸時の省エネ性能の表示について制度が強化された。
これを受けて、改正法に基づく表示ルール、制度の施行に向けた表示の促進方策として「建築物の販売・賃貸時の省エネ性能表示制度」が2024年4月1日より施行される。

省エネ表示制度の根拠となる「建築物のエネルギー消費性能に関し販売事業者等が表示すべき事項および表示の方法その他建築物のエネルギー消費性能の表示に際して販売事業者等が遵守すべき事項(以下、告示)」および「建築物省エネ法に基づく建築物の販売・賃貸時の省エネ性能表示制度ガイドライン(以下、ガイドライン)」が9月25日付で国土交通省より発表された。

また9月26日よりガイドライン(第1版)の解説資料および事業者向けの解説動画が特設ページにて配信が開始された。
詳しくは国土交通省「建築物省エネ法について 省エネ性能表示制度 特設ページ
」を参照。

建築物省エネ法に基づく建築物の販売・賃貸時の省エネ性能表⽰制度|国土交通省 (mlit.go.jp)

(例)努力義務の対象となることが想定される建築物
住宅/新築分譲住宅、新築分譲マンション、賃貸住宅、買取再販住宅 等
非住宅/貸し事務所ビル、貸しテナントビル 等

既存建築物については、建築時に省エネ性能が評価されていない等の理由により、表示すべき事項等を表示できない場合が想定されることから、告示(案)においては、既存建築物については必ずしも告示に従った表示を求めないこととしている。

追加工事完了の確認

9月末に完了検査・消防検査が済み、本契約部分の引き渡しが終わった建物の追加工事分が完了したということで確認に立ち会った。

1階南側の区画は、ケッタッキーフライドチキンの内装工事が10月初旬から始まっていて設備工事の真っ盛りだった。1階北側の区画は寿司屋さんと契約締結したそうで、これから内装設計が始まるとのこと。

テナント部分の水道、ガス、雑排水、汚水の引込み(オーナー工事分)

東側隣地境界部分(土地所有者は同じ)

施主と最近できたと言うセイロン紅茶専門店でお茶したが、美味しくて2杯飲んでしまった。また寄ってみよう。

建物の全容が見えてくると、色々な声が施主の下に飛び込んでくるそうだ。「とてもきれいになった」「ここまで直すなら建替えた方が良かったのでは」・・・

建物所有者が岐路に直面したとき選択肢は沢山ある。「建替える」「既存建物を活用する」「更地にして駐車場にする」建替える場合でも「容積率一杯に建て替える」場合も「現状の規模」の場合もある。色々とスタディしてみないと、どの選択肢が、この場所、所有者にとってベストな解決方法か。考える事は山ほどある。これについては、又別の機会に書いておこうと思った。

飲食店の屋外テラス -3

飲食店の屋外テラスで排煙設備が必要だと指摘され機械排煙設備を設置したと言う案件の断面図。

屋外テラスの奥行は2m。外部に面した手摺は開放された縦格子の手摺であり、天井高もあり、バルコニーや廊下等の「吹きさらし」基準である手摺の上から1.1m以上かつ天井高の1/2以上の条件は満足している。

1、「客席が常時設置され屋内的用途が発生するので床面積に算入する」という判断は、とりあえず良しとする。

2、「屋外テラスに排煙設備の設置が必要か否か」について考えてみる。建物全体としては施行令第126条の2により、排煙設備の設置が必要な建物である。

3、「屋外テラスが火気発生室か否か」は実際の使用状況によるので、安全をみて火気使用室として考える(屋外テラスでBBQ、鍋、焼肉などいう事もある)

4、「火災が発生した場合に避難上支障のある高さまで煙又はガスの降下が生じない建築物の部分として、天井の高さ、壁及び天井の仕上げに用いる材料の種類を考慮して国土交通大臣が定めるもの」(施行令第126条の2第1項第五号、平成12年建告第1436号)に該当するか否か。「排煙設備は一の防煙区画部分のみに設置」(平成12年建告第1436号)とあるが、そもそも屋外テラス部分は、外気に開放され垂れ壁等も無く防煙壁によつて区画されていない。仮に屋外テラス部分が防煙区画部分として「床面積の1/50以上の開口面積を有し、かつ、直接外気に面する」(施行令第126条の3第1項八号)は満足している。

・よって屋内的用途が発生するこによる床面積算入の問題と排煙設備の設置は別の次元の問題と考えられる。

・屋外テラスを機械排煙設備として、どれほどの排煙機を設置したのかと思いきや、屋外テラス部分の容積で計算したそうだ。地球の面積は5.10×108km2だから、排煙機は1㎡につき1㎥の空気の排出能力を持つ莫大な容量の排煙機を設置しないと矛盾する。

・以上により屋外テラス部分は外部とし、飲食店内部の排煙設備設置のみで良かったのではなかったかと思う。


「屋外テラスに機械排煙設備は必要なのか」という、当該建物の建築主からの問いかけに対する私なりの回答でした。

「利休を超える戦国の茶人・織田有楽斎」丘真也著

堀口捨巳が晩年移築に関わった茶室「如庵」から、織田有楽斎の人となりをしりたくなり読んだ本。

織田 長益(おだ ながます)は、 織田信秀の十一男で、織田信長の13歳離れた異母弟。

変転きわまりない戦国の世に生まれ、織田・豊臣・徳川と交代激しい権力下を生き抜けたのはどうしてか。処世術にたけていただけなのか。あるいは茶の湯を通じて多くの東西の武将、禁裏、寺僧、数寄者と親交を持ち穏やかではあるが意思は強く、ときの権力に従う事はあつても、おもねる事がなかった。

この本は、当然ながらフィクションだが、織田有楽斎を通して戦国時代を俯瞰することができる。

また俗に「利休七哲」とも言われるが、利休だけが師ではなく利休の流れに根差しながらも少し距離を置いて、利休よりも寛ぎのある茶席を求めていたように思われる。

「如庵」「自ずから、然るべく、生きるが如し」

「如庵」は、織田有楽斎の最晩年の茶室である。

「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也」(織田有楽斎「茶道織有伝」) 

夢を見た・・・

ある設計事務所に、この爺(私)が新規採用されたという夢をみた。

かねてより尊敬する高名だが年老いた建築家の下に、本当に設計実務ができるプロフェッショナルが集まった事務所。

既存建築物の専門家として爺(私)も加わることになった。
意匠・構造・設備・電気・施工・積算のプロがいる。どうやらシニア以上の人達が多いようだ。

私「先生、どうしてこういう事務所にしたいと思ったのですか?」

所長「軍隊で例えるならばね。参謀ばかりでなく、本当の戦闘集団にしたかった。」

スタッフに挨拶したあと、建築家(所長)の奥様と思われる年老いた女性と入所手続き上の会話をしている。

社会保険の加入を巡ってだ。

私「もう年金貰ってますし、健康保険も妻の会社に加入してありますので不要です。失業保険も不要です。」
所長「そういうわけにもいかないだろう」
総務(所長妻)「経費がかからなくて助かるわ」

報酬は一流だと思うが、仕事は選んでいるし、これだけ専門家の集団を維持しているので事務所経営は決して楽ではないと察した。高齢化社会だ爺婆が中心の会社があっても良いかもしれない・・・

画像が切り替わり

現場で打合せ・指示している場面になったところで目が覚めた。

今日は良く寝た。
朝5時起床。

飲食店の屋外テラス -2

【海外の参考画像】

ある複合ビルの2階、3階の飲食店区画の前にテラス席があり、椅子テーブルもきっちり記載し、指定確認検査機関に事前相談に行ったところ「テラス軒下の部分は屋内的用途が発生するので床面積に算入する」と言われたそうです。まあそういう判断もあるかも知れません。設計者も、容積率に余裕があるので床面積算入については特に反論はしなかったようです。

設計者と指定確認検査機関との間に下記のやりとりがあったそうです。(概要)

審査機関「床面積が発生する以上 建物室内ですね」
設計者「外気に有効に開放されていますよ」

審査機関「屋内的用途がある以上 室内だから排煙設備が必要だ」

設計者「テラス部分は自然排煙ということで良いですか」

審査機関「自然排煙でいいけど、飲食店の本当の屋内側(テラスサッシ内側)の排煙設備はどうなっているの?」

設計者「機械排煙です」

審査機関「じゃあ異種排煙区画となるね。このテラスと店舗の間のサッシは、開放したりするの」

設計者「サツシを開放して屋外テラスと室内側は一体で営業することはあると思います」

審査機関「異種排煙区画は、不燃材で常時閉鎖が必要です」

設計者「屋外テラスも機械排煙とします」

こうして屋外テラス席の部分も機械排煙とすることで、確認申請は決裁されたそうです。

皆さんは どう思いますか?

 ・・・続く

「うたわない女はいない・働く三十六歌仙」

最近のマイブームは短歌

短歌集は、総じて文字が大きく見やすい。短い時間で少しづつ味わえる

「女性だけの短歌集」「働くことがテーマ」と言う視点が興味深かった

様々な仕事の現場から生まれる女性たちの歌から、この社会の現実が浮かび上がり、いろんな感情移入ができる歌集でした。

歌人の俵万智さんとシンガーソングライターの吉澤嘉代子さんが選考委員を務めた「おしごと小町短歌大賞(2022年度)の多彩な受賞作と選考会の様子が、とりわけ楽しく読めた。

大賞受賞作・遠藤翠さんの「子の熱で休んだ人を助けあうときだけ我らきっとプリキュア」が良かった。仕事を持ちながら子育てしているお母さんが助け合うという高揚感が歌われていた。

昔、中間管理職だつたとき、職場に補充されてくるのは子育て中の人とか、妊婦さんだったりして、保育所から電話が来て子供が熱出したから早退とか。通勤途中で気持ちがが悪くなったからと遅く出社する人とか。その度に人員ギリギリの職場はてんてこ舞いしていたことを思い出した。「プリキュア」になる連帯感はなかったな。「女性ばかり補充するなと」と会議で発言して「男が欲しけりゃ、売上げ上げろと」と役員に言われ、喧嘩になりそうになった事を思い出した。ジェンダー平等なんて言われない時代の思い出。

俵万智賞の田中楓人さんの「顔見れば欲しいタバコがわかるほど会っているのに他は知らない」も共感できた。

作者はコンビニでアルバイトしているそうだが、私もコンビニで深夜アルバイトをした事がある経験から、よくわかる感情。でも普通の職場でもそういう傾向あるよね。意外と同僚のプライベートなことは知らなかったり・・・

とにかく色々な情景が浮かぶ歌集でした。