「黒田辰秋・千年の椅子」丸山茂樹 著

 引き続き黒田辰秋に関する本の紹介

 黒田辰秋が20歳のころ河井寛治郎の家で柳宗悦にあってから、上賀茂民芸協団の設立に至る経緯と活動の状況について詳しく知ることができた。

 京都の中でも好きな上賀茂の風景が描写されている。西賀茂の神光院や光悦寺のあたり、昭和2年の春。その頃はまだ京都市ではなく愛宕郡の時代だ。

 昨日、若い時に下賀茂神社の巫女さんのバイトをしていたという人と会っていたので、上賀茂の風景と、この本の記述がオーバーラップして、書いておきたくなった。

 上賀茂民芸協団は、濱田庄司が見てきたイギリスのデッチリング・コモンという集落に影響を受けたことが書かれている。

 デツチリング・コモンは、広場を囲った十二、三棟の家屋が整然と建ち、その周囲は果樹園や牧草地に囲まれ、敷地の奥にレンガ造りのチャペルがある。「ギルはさ、すべての人々が、それぞれ特別の芸術家で、そして働くこと自体が、喜びに満ちた行為であるべきだなんだ。」「物を作る営みと信仰は一体なんだ」と濱田庄司は益子でデッチリングのような暮らしを目標にしたいと。

 柳宗悦が濱田の言葉に被せるように「一人でやると、どうしても独断におちいる。自意識の超過にわざわいされる。それから逃れるためには、力をあわせる環境のもとで、生活を浄めることが大事だと思うんだ。濱田が見てきたことは、民芸の将来的な在り方を、暗示していると俺は思っている」 民芸運動の目指していた理想的なビジョンがここに示されていると感じた。

 黒田辰秋は、「付知の田舎生活でわかつたのは、都会との適度な距離の良さだ。日常生活の猥雑さを、いつのまにか溶かして、恬淡(ていたん)とさせる秘力が山里にはある」というところは、とても同感。

 ※恬淡(ていたん)・・・欲が無く、物事に執着しないこと

 「分業に甘んじるなら職人だ。作家を目指すなら、一から十まで自分でやりゃなきゃな」という黒田辰秋が語ったというところも記憶に残る。