5/31の熊本市中央区新市街の様子
一見、平常の生活に戻ったようにみえますが
地震の際に建物が相当揺れたようでアーケードの屋根とぶつかりあい
損傷した後が生々しいです。
閉店したままの店もあり、フロントサッシが変形していたり
外観の目視だけでも損傷個所は、かなり見つけることができます
建築法務/ 建築ストック再生・活用 /長寿命化/ 環境建築 / 建築設計監理 / ㈱寺田建築事務所・一級建築士事務所
この本を買ってみようかと思ったのは、挿絵が富永祥子さんだつたから。
富永さんは、工学院大学建築学部建築デザイン科教授であり建築家、そして時々漫画家という多面的な才能を持つ人で、昨年2015年建築学会賞・作品賞を工学院大学弓道場・ボクシング場で受賞した話題の人。
本全体としては出来は悪くはない。グルメ本というより江戸より継承された食文化を東京の老舗飲食店にかいまみることができるという食文化史的な紹介本と言ったらよいだろうか。
建築の道を歩んでいる人は、こういう老舗飲食店に足を運ぶことで伝統的な建築に触れることができる。ただし、その店その店固有の味付けがあり全ての人の口にあう味かどうかは別物で、色々と食べ歩いて自分好みの店を見つけ出さなければならない。
せっかく東京の老舗飲食店が紹介されているのだが、池波正太郎の本を読んだ時のような食べに行ってみたい。自分で作ってみたいという気持ちにはなれなかった。
それはほとんどのグルメ本、飲食店紹介記事に言えることだが・・。
わずか35年あまりしか空間を体験することを許さなかった工学院大学八王子図書館。
武藤章先生の代表作とも言える八王子図書館は、工学院大学八王子キャンパスの核となる施設であったが昨年2015年10月解体された。
学生時代1年間ゼミで武藤章先生の教えを受けた。設計演習でも指導を受けたが、先生はとても論理的だけど文学的な一面もあって、私が好きだった立原道造の詩を先生も好きでとても親近感を覚えていた。設計の成績はそれなりに良かったけど、自分は設計はあまり好きではなく、卒論は伊藤ていじ先生のもとでお世話になることとなった。それ以来、先生に会う機会がないまま月日は経過したが、あまりにも早く武藤章先生は他界してしまった。
八王子図書館の完成は、私が大学を卒業した後だったし、当時は東京から離れていたので、残念ながら実物は見ていない。雑誌等で見て記憶に残っていた程度だったが、まぎれもなく武藤章先生の代表作のひとつになるだろうと思っていた。
さて、この本は消えゆく建築の新しい保存方法を提起した「本」である。
惜しむらくは、解体時の変状調査をしておくと良かったように思う。一種の「解剖」なのだが、ストック活用の立ち位置からは有意義な資料が得られたように思う。
とにかく写真72枚、意匠図108枚、武藤章先生の八王子図書館に寄せる思い、関係者の証言、なんと申請図書まであり圧倒される。
端正なプロポーションで緊張感のあるデザイン・武藤章の空間を是非体験あれ
【本の紹介】
上高地バスターミナルの一画にある上高地インフォメーションセンター
神の郷、神河内と呼ばれ聖域だった上高地
20代前半に後立山連峰の縦走以来、槍、穂高へ足を運ぶうえで上高地を訪れてきた
思い出深いところです。
自然は神秘的までに美しく、清らかな梓川、気高き山々、清浄な空気
何度来ても魅力的な世界が広がっています。
そんな聖域も、外国人観光客に満ち溢れていた。
まあ、バスターミナルと河童橋周辺に限定されてはいるが
春の陽ざしがある半面、雪雲に半身覆われ細かな霰が降るといった不思議な天気
内部は、木材で覆われた空間です。
この上高地インフォメーションセンターは、上高地に関する様々な情報を提供している公共施設。環境省自然保護管事務所があり、繁忙期には上高地臨時警備派出所、登山相談所が開設される。入山届を提出するのもここ
かねてより準備中でした「食と栄養」に関連する業務を始めました。
「建築事務所なのに何故?」と聞かれそうですが、スタッフの潜在能力や資格を活かしていくと自然と業務範囲が広がり、それが「食と栄養」領域だったと言うわけです。
「建築事務所ですがなにか?」
この際だから社名も変更しようかと検討しましたが、「食と栄養」関連業務の事業が伸びて来たら再度検討することにしました。
担当者は、子ども二人を育て、現在孫二人。還暦を過ぎましたがとてもアグレッシブです。
栄養士・食生活指導士等の資格を持っており、豊富な社会的経験から学問上の知識だけでなく知恵の溢れる個別対応をさせていただきます。
当面の受注業務は、下記のものが中心です。近々別サイトにて活動を御紹介しようと準備中です。
担当者は、まだ大学で食品衛生学の研究を続けており不在がちですが、下記アドレス宛にメールをください。後ほど担当者からお返事さしあげます。メール相談は無料です。
eiyouアットマークtaf2012.sakura.ne.jp
「アットマーク」部分を「@」に直して送信してください。
高山の老舗料亭・洲さき
高山陣屋から宮川にかかる中橋を渡ると岐阜県・最古の料亭・洲さきがあります。寛政6年(1794年)創業、建物は高山市有形文化財です。
司馬遼太郎の「街道をゆく」(飛騨紀行)に、洲さきを取り上げた章があり、飛騨美学の結晶が込められていると称えられています。
洲さきのために高山に行く価値があると断言する人さえいます。
たぶん大人になつてしか感受できない空間・料理・おもてなしが、ここには凝縮されています。
入口
暖簾を潜ると寛成当時のままの玄関、土間を抜けると右手に囲炉裏があります。
飛騨らしい造りで趣があります。
室町時代に始まる本膳料理という日本料理の一つの型式・作法を今に伝える店です。
洲さきの宋和流本膳料理は、茶の湯の心をふまえた料理で、第二代高山藩主・金森可重の長男、茶道宋和流始祖である金森宋和が好んだ本膳の形と味を整えたものとあり、現在は、本来30品ある料理を11品に絞り込んだ宋和流本膳崩を提供しています。献立は毎月変わるそうです。
京都の華美な日本料理とは異なる日本料理が継承・進化されているようです。
高山恐るべし。
国土交通省国土技術政策総合研究所(以下、国総研)の平成28年(2016年)熊本地震による継続的な建築物等被害調査報告がとても興味深い。
第一次調査報告(その1)4月15日(本震前)、第一次調査報告(その2)4月16日(本震後)も読んでいたが、5月2日に発表された第二次調査報告(速報)は、熊本市内20棟、宇土市内3棟、宇城市内1棟の鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造の建築物が24棟調査されている。
一次調査(その2)で、益城町役場庁舎(RC3階建て)は、4/15には外観上無被害であったが、4/16には庁舎正面の搭状部分の頂部、中間部分の損傷がみられ、基礎底盤と周辺地盤に隙間が拡大。渡り廊下も損傷している。と報告されていたが、これまでは木造建築物の被害報告が大半だった。
今回の第二次報告書では特殊建築物(RC造・SRC造)のまとまった件数の学術的な視点での調査報告がなされている。
新耐震基準以降に建設された建築物や耐震補強がなされた建築物で、構造被害が甚大であった建築物を注視したい。
構造だけでなく各分野の多角的な詳細調査を行い、被害要因の分析がなされることがまたれる。
ゴールデンウィークは、どこにも行かず仕事と家の片付けをして過ごした。
家の片付けの事などを、最近では「断捨離」というらしい。
東京の狭い居住空間では、定期的に物を整理・処分しないと生活空間がせせこましくなる。今回は痩せたら着れるだろうと取ってあった衣類と恒常的に溜まり続ける本・仕事関係の書類・カタログ等の処分が中心だが、家具類も配置換えをした。
本格的な片付けは2年ぶりだったかもしれない。
家具類の配置換えの影響でインターネット、イントラネットの接続に不具合が出て復旧に追われたり、掃除機が壊れてしまったりした。
本は「偲び難きを偲び」という思いで処分をする。漫画・推理小説・雑誌・仕事の資料etc・・・さようなら。
本を片付けていると、読んだことが無かった本とかを発見したりする。今回は、池波正太郎の「酒肴日和」(「そうざいエッセイ選集」・高丘卓編)を見つけて読みふけってしまった。池波正太郎が愛した本当にうまいものが満載。
しかし随分と事務所も居住部分もすっきりした。
「断捨離」自分と物との関係だけでなく、仕事や人間関係にも広げて実践することを薦めている人もいるらしい。最近では「断捨離」を実践する人を「ミニマリスト」と呼ぶこともあるとか。
メトロ丸の内線・淡路町駅で降りて、神田須田町を歩いてみた
旧名は神田連雀町
1884年(明治17年)創業の老舗そば処・神田まつや
ここの「もりそば」は香り高く美味い
外部も内部も風情ある佇まい
甘味処の「竹むら」
江戸時代「汁粉屋」は、男女の逢引の場でもあり、それにふさわしい風雅なしゃれた造りが求められたと聞く。「竹むら」には、そんな面影が幾分名残をとどめているらしい。
火災のあと再建された「かんだやぶそば」
こちらは神田淡路町
以前 建築雑誌で見たことがあるような現代建築
こんな看板建築も残っている
戦災で焼けなかった地域で、神田のビル街に点在して昭和の建築が残っている
何だかほっとする一画
「神田志の多寿司」
ここの「しのだ」(いなり)とかんぴょう巻きが大好物
「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
という安倍晴明に係る一首を妻に教えてもらった
昨晩の熊本地震には驚きました。何しろTVの速報が震度7でしたから、一旦は目を疑いました。
今朝になって被害の状況が明らかになってきて、熊本城は屋根瓦が落ち、石垣は崩れているし、九州自動車道は通行できず、九州新幹線もストップしている。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
今朝になり、熊本市内にいる知人に電話をしてみた。
3年前に建てた家は問題なく、家具類も制震器具がついていたので食器類が散乱することはなかった。ただ現在断水しているとの事だった。電気や電話・携帯電話は問題ないとの事。今日は会社を休んで食料品等を買いに出ているが、スーパーなどではすでに食料品・水・生活用品がすっからかんで、小さい子供がいるのでかき集めなけれならないと言っていた。
二回目の地震の方が揺れが激しかったようで、何しろ昨晩から余震が続くので寝ていないようだった。
私も、5年前の3.11東日本大震災を思い出して、昨晩は災害時備蓄品を点検した。5年前、あの時は東京でも大変でしたね。それ以来 ミネラルウォーターは備蓄しているし、防災用品はきつちり用意するようになった。
日本列島 いつ地震が起きても不思議ではない。
なによりも今は、川内原発停止すべきでしょうよ。
【4/16追記】
4/16未明のM7.3といい、その後の余震の数と言い、今まで経験した地震とは全く異なる地震ですね。
建物も沢山被害が報告されてきています。こんなに何度も揺られることなど想定外でしょ。
http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/?LANG=ja
NIEDサイトの赤い点が示すのが、この2日間の震央分布で、明らかに中央構造線に沿って多発しているのがわかります。震央が集中するエリアの東西の延長線上付近には、伊方原発と川内原発が立地しています。
新潟大学名誉教授の立石雅昭(地質学)さんは「川内原発。直ちに停止するべきです。少なくとも、今地震が収まるまで、原発を停止し、推移を見守るべきです。今日未明のM7.3の地震が本震。今中央構造線西端付近での地震は中部九州を横断して、岩盤が破壊され続けています。動きが読めません。」とツイッターで書いています。
1596年の再来にならなければ良いのですが・・・。
1596年は、特殊な3つの地震が起こった年で①1596年07月09日(旧暦)に愛媛県の中央構造線断層帯で起きた慶長伊予地震(M 7.0) 、②07月12日(旧暦)に大分で発生した慶長豊後地震(M 7.0~7.8) 、③同日、07月12日(旧暦)に京都で発生した慶長伏見地震(M7.25~M7.5)が起こったと史実にあります。
ともかく防災用備品の準備はしておこうと思う。
雨の中、久しぶりに都内で既存建物の調査だった。
以前の所有者から新しい所有者に所有権が移行したばかりで、通電してないかと思っていたが、電気も水も開通済みだった。
鉄骨造3階建ての建物で、建築確認済証・検査済証のある事務所ビルを用途変更してフルリノベーションするプロジェクト。
デザイン事務所が設計・図面作成を行い、弊社が許認可・申請業務を全て行うという建築主も了解したコラボレーション。
既存不適格調書・現況調査書等を作成するために調査を行った。
3階に少し奥行きのあるバルコニーがあり、テーブルと椅子が置いてあった。執務の合間の息抜きやコミュニケーションの場として、こんな空間が少しでもあると仕事のクオリティーが高まるような気がする。
調査は、いつもながら階段を計測し、非常用照明を確認し、図面と現況との整合性を確認し、天井裏を各階覗いてきた。
都内だと車に調査道具一式が入ったハードキャリーと脚立を持って、気軽に二人で出かけられる。
飛騨高山、名古屋と一週間の出張から東京に戻ってみると、国土交通大臣指定の指定確認検査機関であるアウェイ建築評価ネット(株)に、4月12日から4か月間の業務停止、一年間の監督命令が出ていてびっくりした。
申請を他の機関に振るように手配せねばならなかった。
アウェイ建築評価ネットと言えば、昨年末に業績不振で大量の人員整理をし、事業所を縮小していた。
恐らく今回の国交省の処分につながる諸問題は、以前から特定行政庁の段階では問題になつていたものと思える。ずっとボヤだったものが、火災に発展したものではないかと思われるのだ。経験的に書けば、こうした あわや処分につながるミスは結構あり、特定行政庁の段階で止まっていて、首の皮がつながっているケースも実は多い。
それにしても、今回のアウェイ建築評価ネットの処分につながる確認検査員4名は、全員行政OBであったのが残念だ。